平英房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 19:46 UTC 版)
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時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 豊前守 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 畠山義英→義堯→尚誠 |
氏族 | 平氏 |
子 | 誠佑 |
平 英房(へい/たいら ひでふさ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。義就流畠山氏(総州家)の奉行人(内衆)を務めた。
概要
英房の英の字は畠山義英の偏諱を受けたものであると考えられる。
享禄4年(1531年)7月17日には畠山義堯の奉行人として文書を発給している[1]。
義堯が死去した後は奉行人としての立場を終われ、同族と見られる平英正が畠山在氏の奉行人を務めている[2]。
後継者と見られる平誠佑は畠山尚誠の偏諱を受けており、畠山在氏と木沢長政の没落に伴い復権したと考えられる[3]。
脚注
注釈
出典
関連項目
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