崔戎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 崔戎の意味・解説 

崔戎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 14:30 UTC 版)

崔 戎(さい じゅう、780年 - 834年)は、唐代官僚は可大[1][2]本貫深州安平県[3][4]

経歴

明経に挙げられ、太子校書郎に任じられた。試験に合格して、藍田県主薄となった。淮南節度使の李鄘に召し出されて仕えた。衛次公が李鄘に代わって淮南節度使となると、崔戎は憲宗にその才能を見込まれて、引き続き衛次公に仕えた[1][2]

裴度が河東節度使となると、崔戎はその下で参謀をつとめた。王承宗が鎮州で反乱を起こすと、崔戎は裴度の要請により王承宗の説得に赴き、王承宗は降伏した。崔戎は入朝して殿中侍御史となり、吏部郎中に累進した。諫議大夫に抜擢された[1][2]

雲南の少数民族が成都に乱入すると、崔戎は剣南東西両川宣慰使となり、宣撫にあたった。税外の薑芋銭を廃止するよう上奏して乱を落ち着かせた。長安に帰ると、給事中に任じられ、反対意見を上奏することで当時に知られた[1][5]大和7年(833年)、華州刺史として出向した[6]。大和8年(834年)3月、兗海沂密都団練観察等使に転じた[7]。6月庚子、死去した[8]。享年は55。礼部尚書の位を追贈された[1][5]

家族

  • 高伯祖父:崔玄暐
  • 祖父:崔嬰(郢州刺史)
  • 父:崔貞固(楡次県尉)[1]
  • 子:崔雍(字は順中、和州刺史となったが、龐勛の乱に与して宣州で死を賜った)[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f 旧唐書 1975, p. 4251.
  2. ^ a b c 新唐書 1975, p. 4962.
  3. ^ 旧唐書 1975, p. 2934.
  4. ^ 新唐書 1975, p. 4316.
  5. ^ a b c 新唐書 1975, p. 4963.
  6. ^ 旧唐書 1975, p. 551.
  7. ^ 旧唐書 1975, p. 553.
  8. ^ 旧唐書 1975, p. 554.

伝記資料

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  崔戎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「崔戎」の関連用語

1
2% |||||

2
2% |||||

崔戎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



崔戎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの崔戎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS