富貴寺_(奈良県川西町)とは? わかりやすく解説

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富貴寺 (奈良県川西町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 15:04 UTC 版)

富貴寺
所在地 奈良県磯城郡川西町保田33
位置 北緯34度34分56.4秒 東経135度45分5.1秒 / 北緯34.582333度 東経135.751417度 / 34.582333; 135.751417座標: 北緯34度34分56.4秒 東経135度45分5.1秒 / 北緯34.582333度 東経135.751417度 / 34.582333; 135.751417
宗派 真言宗豊山派
創建年 平安時代初期
開山 道詮
正式名 清涼山富貴寺
別称 冨貴寺
文化財 本堂、木造釈迦如来坐像、木造地蔵菩薩立像(以上、重要文化財)
法人番号 6150005005288
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富貴寺(ふきじ)は奈良県磯城郡川西町にある真言宗豊山派の寺院である。平安初期に法隆寺夢殿を再興し、法隆寺の学問振興に力を注いだ道詮(どうせん)が晩年に開いたとされる。今は壺阪寺の末寺となっているが、無住の寺となっている。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 本堂 - 寄棟造本瓦葺の建物。南北朝末期の元中5年(1388年)の建立。
  • 木造釈迦如来坐像
  • 木造地蔵菩薩立像

関連文化財

  • 旧富貴寺羅漢堂(法隆寺所有、重要文化財)
かつて当寺境内にあった小堂。三重塔の二重・三重が失われ、初層のみが残ったものとみられる。柱、頭貫、組物などの部材が残るのみで荒廃していたものを1935年(昭和10年)に細川護立(肥後細川家当主、美術収集家)が引き取り、解体して東京の自邸倉庫に保管していた。1969年、部材207点は細川から法隆寺に寄進され、建築家の大岡實が復元のための図面を作成した。部材は腐朽が甚だしかったが、様式から平安時代のものと判断された。部材は修復のうえ、単層宝形造の小堂として法隆寺境内に再建され、1971年に「旧富貴寺羅漢堂」として重要文化財に指定された。法隆寺の西院と東院を結ぶ道の南側に所在するが、一般には公開されていない[1]

アクセス

脚注

  1. ^ 法隆寺羅漢堂、大岡實建築研究所、2020年12月16日閲覧。

関連項目

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