宝寿院_(大田原市)とは? わかりやすく解説

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宝寿院 (大田原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 20:54 UTC 版)

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宝寿院
所在地 栃木県大田原市片府田1075-4
位置 北緯36度48分55.8秒 東経140度03分53.5秒 / 北緯36.815500度 東経140.064861度 / 36.815500; 140.064861座標: 北緯36度48分55.8秒 東経140度03分53.5秒 / 北緯36.815500度 東経140.064861度 / 36.815500; 140.064861
山号 月桂山
院号 宝寿院
宗派 真言宗智山派
創建年 嘉吉3年(1443年)または天福元年(1233年
開山 祐満
中興年 嘉吉元年(1441年)?
中興 宥仙
札所等 那須三十三ヶ所観音霊場第20番札所
文化財 銅造阿弥陀如来・両脇侍像(栃木県指定有形文化財)
宝寿院
宝寿院 (栃木県)
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宝寿院(ほうじゅいん)は、栃木県大田原市にある真言宗智山派寺院

歴史

祐満によって開山された。開山年代について、1443年嘉吉3年)といわれているが、1233年天福元年)の開山、1441年(嘉吉元年)に宥仙の中興という異説もある[1]

寺領50が与えられるなど、烏山城城主だった那須氏の保護を受けていた。江戸時代も周辺地域に6ヶ寺の末寺を擁していた[1]

栃木県の文化財に指定されている「銅造阿弥陀如来・両脇侍像」は、別名「汗かき阿弥陀」と呼ばれている[1]

文化財

  • 銅造阿弥陀如来・両脇侍像(栃木県指定有形文化財 昭和48年8月28日指定)[2]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩(歴史散歩9)』山川出版社、2007年、65-67p
  2. ^ 銅造阿弥陀如来・両脇侍像栃木県

参考文献

  • 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩(歴史散歩9)』山川出版社、2007年



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