宇多頼重
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 慶長5年9月17日(1600年10月23日) |
官位 | 河内守 |
氏族 | 宇多氏 |
父母 | 父:宇多頼忠 |
兄弟 |
頼重、寒松院(真田昌幸正室) 皎月院(石田三成正室)、石川頼明正室 |
略歴
宇多頼忠の子として誕生した。石田三成の正室・皎月院の兄に当たると言われている(異説では弟とも)。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで父と共に佐和山城を守備していたが、9月15日に三成ら西軍が大敗・壊滅すると小早川秀秋らによって攻撃を受ける。抵抗したもののかなわず、9月17日に父や石田正継・正澄父子らと共に自害した。
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