大谷定英とは? わかりやすく解説

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大谷定英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 18:13 UTC 版)

 
大谷 定英
時代 江戸時代中期
生誕 寛文2年(1663年
死没 宝永6年(1709年)5月16日
改名 桃井定英→大谷定英
別名 桃井刑部大輔定英
諡号 現智院
官位 従四位上・中務権大輔
主君 二条綱平
氏族 花山源氏白川伯王家桃井氏→大谷氏
父母 白川雅喬王
兄弟 白川雅光王、定英、白川雅冬王
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大谷 定英(おおたに さだふさ)は、江戸時代中期の公家武士。官位は従四位上・中務権大輔二条家の諸大夫を務めた。桃井 定英とも。

概要

定英は桃井氏、大谷氏という家号を称し、二条家の「殿上人」となり、官位は従五位下・刑部少輔から従四位上・中務権大輔に至った。宝永6年(1709年)4月に二条綱平の東下に従い、帰洛の途中の同年5月6日に尾張国熱田で46歳で卒去した[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 赤坂恒明「平田職俊『諸家近代系図』について 江戸前期堂上公家に関する基礎史料」『姓氏と家系』第三十一号(会誌通巻第百十九号)日本家系図学会, 2024年6月, 51~74頁

参考文献




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