保科正之
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保科 正之(ほしな まさゆき)は、江戸時代前期の大名。会津松平家の祖。信濃国高遠藩藩主、出羽国山形藩藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主となった。
注釈
出典
- ^ a b c d e 山形市市史編さん委員会、山形市市史編集委員会 1987, p. 185.
- ^ 福田千鶴『江の生涯』中公新書、2010年。
- ^ a b c 長谷川 2005, p. 19.
- ^ “保科正之は江戸時代初期の会津藩主。…”. 西日本新聞ニュース (2016年4月16日). 2020年10月6日閲覧。
- ^ 長谷川 2005, p. 18.
- ^ 長谷川 2005, p. 22.
- ^ a b c d 山形市市史編さん委員会、山形市市史編集委員会 1987, p. 188.
- ^ 長谷川 2005, p. 20.
- ^ a b c 山形市市史編さん委員会、山形市市史編集委員会 1987, p. 189.
- ^ 義民のあしあと『白岩義民(間沢村三霊供養碑(東泉寺))』
- ^ 『会津事始』「七木八草四壁竹本御定法事」
- ^ 氏家幹人『江戸時代の罪と罰』草思社、2015年、73-74頁。
- ^ 氏家幹人『江戸時代の罪と罰』草思社、2015年、76-78頁。
- ^ 『図説 福島県史』
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