四条有資とは? わかりやすく解説

四条有資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/13 02:16 UTC 版)

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四条有資
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
官位 伊予国司左中将
主君 後醍醐天皇後村上天皇
氏族 四条家
父母 父:四条隆資
兄弟 隆量、隆貞隆俊有資
西園寺実俊正室、少納言内侍
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四条 有資(しじょう ありすけ)は、南北朝時代公家大納言四条隆資の子。伊予国司左中将などに任じられた。南朝に仕えた。

経歴

延元2年/建武4年(1337年)、伊予国司として任国に赴いた。以降「大将」(国大将のことか)として同国宇和荘に入ったり、忽那島に渡って合戦の指揮をする(「忽那一族軍忠次第」)など伊予南朝方の勢力拡大に努めた。

興国4年/康永2年11月8日1343年)、忽那義範に伊予名越城の「後措」を命じた。





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