名古屋市立東桜小学校
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名古屋市立東桜小学校 | |
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北緯35度10分17.14秒 東経136度54分46.05秒 / 北緯35.1714278度 東経136.9127917度座標: 北緯35度10分17.14秒 東経136度54分46.05秒 / 北緯35.1714278度 東経136.9127917度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B123210000183 |
所在地 | 〒461-0005 |
愛知県名古屋市東区東桜一丁目13番1号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト(日本語) |
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名古屋市立東桜小学校(なごやしりつ ひがしさくらしょうがっこう)は、名古屋市東区東桜一丁目の公立小学校。
歴史
沿革
- 1872年(明治5年) - 第三十義校として発足する[WEB 1]。
- 1876年(明治9年) - 第二十九番小学高岳学校が発足する[WEB 1]。
- 1885年(明治18年) - 第三十義校が東新尋常小学校と校名を改める[WEB 1]。
- 1902年(明治35年) - 第二十九番小学高岳学校が高岳尋常小学校と校名を改める[WEB 1]。
- 1909年(明治42年) - 久屋尋常小学校が発足する[WEB 1]。
- 1932年(昭和7年) - 東新尋常小学校が移転し、現在東桜小学校の校地となっている場所に校地を移す[WEB 1]。
- 1941年(昭和16年) - 高岳・東新・久屋各尋常小学校が、高岳・東新・久屋国民学校とそれぞれ校名を改める[WEB 1]。
- 1945年(昭和20年) - 戦況の悪化により、学童疎開が実施される[WEB 1]。東新国民学校は岐阜県谷汲村、高岳国民学校は愛知県足助町、久屋国民学校は三重県宇治山田市にそれぞれ疎開する[WEB 1]。また、高岳・久屋国民学校については名古屋大空襲により校舎を喪う[WEB 1]。
- 1946年(昭和21年) - 高岳・東新・久屋各国民学校が統合され、名古屋市東桜国民学校となる[WEB 1]。
- 1947年(昭和22年) - 名古屋市東桜国民学校が名古屋市立東桜小学校に校名を改める[WEB 1]。
- 1956年(昭和31年) - 愛唱歌として「ぼくらは太陽」を制定する[WEB 1]。
- 1957年(昭和32年) - 校旗制定[WEB 1]。
- 1965年(昭和40年) - 難聴・言語障害特殊学級を新設する[WEB 1]。
- 1993年(平成5年) - 特殊学級に代わり、通級指導教室を開設[WEB 1]。
- 1997年(平成9年) - 愛唱歌「ぼくらは太陽」を校歌に制定する[WEB 1]。
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(1998年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[1]。
1947年(昭和22年) | 892人 | |
1957年(昭和32年) | 1,262人 | |
1967年(昭和42年) | 821人 | |
1977年(昭和52年) | 623人 | |
1987年(昭和62年) | 435人 | |
1997年(平成9年) | 286人 |
通学区域
所管する名古屋市教育委員会は、2019年(令和元年)9月1日現在、東区東桜一丁目・東外堀町・久屋町の全域および泉一丁目・泉二丁目・泉三丁目・東桜二丁目の各一部を通学区域として指定している[WEB 2]。
また、卒業後の進学先は名古屋市立冨士中学校となっている[WEB 3]。
関係者
- 卒業生・出身者
脚注
WEB
書籍
- ^ 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 1998, p. 284.
参考文献
- 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 編『六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌』1998年3月1日。
関連項目
外部リンク
- 名古屋市立東桜小学校のページへのリンク