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並木城

(南並木城 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 21:04 UTC 版)

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並木城
千葉県
並木城
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 飯田三左衛門
築城年 不明
主な城主 飯田氏
遺構 土塁、堀
指定文化財 なし
位置 北緯35度43分46.9秒 東経140度29分11.5秒 / 北緯35.729694度 東経140.486528度 / 35.729694; 140.486528座標: 北緯35度43分46.9秒 東経140度29分11.5秒 / 北緯35.729694度 東経140.486528度 / 35.729694; 140.486528
地図
並木城
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並木城(なみきじょう)は、千葉県香取郡多古町南並木にあった日本の城

歴史

並木城は、千葉氏の家臣である飯田三左衛門によって築かれたと伝わる城である[1]が、詳細は分かっていない。

1330年代に生じた北朝方と南朝方の争いのとき、 並木城直下の「並木のふけ」 (「ふけ」とは湿原・沼沢地をあらわす)において、「ふないくさ」が行われたと考えられる記録が残っている[2]。並木城の大きな役割として、 栗山川、 借当川等の水運の要衝にかかわる権利確保があり、そのための拠点として機能していたのではないかと考えられている。この争いの時、千葉胤貞方の拠る土橋城のほか、並木城、大嶋城(志摩城か)などの諸城が陥落した。

このほかにも、康生元年(1455年)、文明10年(1478年)、明応2年(1493年)、天正10年(1582年)と幾度かの攻防があったとされている[3]

構造

南側に土塁と空堀で囲まれたところがあり、主郭と見られている。

主郭北側の折れを伴った土塁と空堀の二重構造、南東側の巨大な二重の枡形虎口、南側の帯曲輪等の遺構は特に秀逸であり、多古町内にある戦国・中世城郭の中では、もっとも保存状態の良い城郭と考えられている[4]

アクセス

脚注

  1. ^ 府馬清 『房総の古城址めぐり』 有峰書店 P76
  2. ^ 「悟円書状」
  3. ^ 『多古町ぶらり散歩』 多古町教育委員会
  4. ^ 並木城 御城印



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