劉行本とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉行本の意味・解説 

劉行本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 04:22 UTC 版)

劉 行本(りゅう こうほん、生没年不詳)は、南朝梁からにかけての人物。本貫沛国相県。

経歴

劉瓌の子として生まれた。梁の武陵国常侍を初任とした。西魏廃帝元年(552年)、梁の宜豊侯蕭循(蕭脩)が梁州で西魏に降ると、行本は叔父の劉璠とともに西魏に帰順した。京兆郡新豊県に寓居した。北周の大冢宰の宇文護に召されて中外府記室となった。武帝が親政をはじめると、御正中士に転じ、起居注を兼ねた。掌朝下大夫に累進した。宣帝が即位すると、行本はたびたび宣帝を諫めて憎まれ、河内郡太守として出された。

大象2年(580年)、尉遅迥の反乱軍が懐州に進攻してくると、行本は吏民を率いて抗戦し、その功績により儀同の位を受け、文安県子の爵位を受けた。開皇元年(581年)、隋が建国されると、諫議大夫として召され、治書侍御史を検校した。まもなく、黄門侍郎に転じた。

数年後、治書侍御史を兼任したまま太子左庶子に任じられた。皇太子楊勇をたびたび諫めた。太子左庶子のまま大興県令を兼ねた。在官のまま死去した。楊勇が廃位されたとき、文帝は「もし劉行本が健在なら、勇もこのようなことには及ばなかったろうに」と言って嘆いたと伝えられる。

後嗣となる子はなかった。

伝記資料

  • 隋書』巻62 列伝第27
  • 北史』巻70 列伝第58



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉行本」の関連用語

1
10% |||||

2
8% |||||

3
4% |||||

劉行本のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉行本のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉行本 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS