劉子元とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉子元の意味・解説 

劉子元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 03:04 UTC 版)

劉 子元(りゅう しげん、大明2年(458年) - 泰始2年8月24日(466年9月19日))は、南朝宋皇族。邵陵王。孝武帝劉駿の十三男。は孝善。

経歴

劉駿と史昭儀のあいだの子として生まれた。大明6年(462年)3月、邵陵王に封じられた。大明8年(464年)、度支校尉・秦南沛二郡太守となった。冠軍将軍・南琅邪泰山二郡太守に転じた。景和元年(465年)8月、湘州刺史に任じられた。赴任する途中、晋安王劉子勛が反乱を起こしたため、子元は尋陽に留まって劉子勛に加担することとなった。撫軍将軍の号を受けた。泰始2年(466年)8月、劉子勛が敗れると、子元も捕らえられて、殺害された。

伝記資料

  • 宋書』巻80 列伝第40
  • 南史』巻14 列伝第4


このページでは「ウィキペディア」から劉子元を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から劉子元を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から劉子元 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉子元」の関連用語

劉子元のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉子元のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉子元 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS