創造美育協会とは? わかりやすく解説

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創造美育協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/18 01:47 UTC 版)

創造美育協会(そうぞうびいくきょうかい)は、1952年(昭和27年)に設立された民間の美術教育団体。その活動は「創造美育運動」と呼ばれ、児童中心主義に基づく美術教育の改革を目指した。創造美育協会は、単なる美術教育団体ではなく、戦後日本の教育思想と文化運動の交差点に位置する存在であり、戦後日本の美術教育に大きな影響を与えた。

設立の背景と目的

評論家の久保貞次郎、美術家の北川民次瑛九などが中心となって1952年(昭和27年)に設立。各地に支部が設けられ、福井支部には、木水育男(奥右衛門)、中村一郎、原田勇、堀栄治、渡邊光一、谷口等、藤本よし子、斉藤陽子、川上高徳、田中美智子などが参加。

発起人

  • 教師(学校、画塾):池田栄、川村浩章、木下繁、木水育男、桑原実、高橋俊麿、藤沢典明、室靖、湯川尚文
  • 美術評論家:植村鷹千代(交渉中)、嘉門安雄久保貞次郎、佐波甫、滝口修造、田近憲三
  • 学者(教育学、心理学):岡宏子、周郷博、角尾稔、宗像誠也(交渉中)
  • 画家:瑛九、北川民次

目的

  • 子どもの個性と創造力を尊重する美術教育の推進。
  • 教師や大人の権威・指示を排除し、自由な表現を重視。
  • 児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を目指す。

主な活動内容

  • 児童画の公開審査会:子どもの作品を公開し、教育的・芸術的観点から評価。
  • 創造美育セミナール:教師向けの啓蒙・研修活動。
  • 版画の普及活動:教育現場での版画技法の導入と普及。
  • 美術家支援・コレクター育成:若手美術家の支援と小コレクター運動の推進。
  • 出版活動:月刊誌『創造美育』などを通じて理論と実践を広めた。

創造美育協会の教育理論

創造美育協会の教育理論は、戦後の民主主義的価値観と深く結びついており、以下のような特徴がある。

1. 児童中心主義(Child-Centered Education)
  • 子どもの内面から湧き出る創造力を尊重し、教師の指導よりも子どもの自由な表現を重視。
  • 教師は「教える者」ではなく、「支援する者」として位置づけられた。
  • 教材や技法の押し付けを避け、子どもが自らの感性で素材と向き合うことを奨励。
2. 芸術と教育の融合
  • 子どもの絵を「教育的成果」ではなく「芸術作品」として評価。
  • 芸術家が児童画を審査することで、教育現場に芸術的視点を導入。
  • 美術教育を通じて、人格形成や社会性の育成を目指した。
3. 自由と民主主義の実践
  • 戦後の民主化の流れの中で、教育の自由と個人の尊重を理念に据えた。
  • 画一的な教育からの脱却を図り、創造性を育む教育を提唱。

創造美育運動成立の背景

1. 戦後民主主義の影響
  • GHQによる教育改革の流れの中で、自由・個性・創造性の尊重が教育界に広がった。
  • 教育基本法(1947年)や学習指導要領の改訂が、創造美育の理念と合致。
2. 芸術家との連携
  • 北川民次瑛九などの前衛芸術家が運動に参加し、教育と芸術の境界を越える試みが行われた。
  • 芸術家の視点が教育現場に入り込むことで、児童画の価値が再評価された。
3. 国際的な教育思想の影響

創造美育運動がもたらした影響

1. 美術教育の革新
  • 教師主導の模写中心教育から、子ども主体の創造的表現へと転換。
  • 全国の教育現場において、自由画や版画などの創造的活動が広がった。
2. 教育理論の発展
  • 教育学・美術教育学において、児童中心主義や表現教育の理論的基盤が形成された。
  • 教育研究者による創造美育の分析が進み、教育史における重要な位置を占めるようになった。
3. 教育運動としてのモデル
  • 創造美育運動は、教育現場と芸術界、評論家、研究者が連携した稀有な例として評価される。
  • 教育運動が社会的・文化的に広がる可能性を示した。
4. 批判と限界の認識
  • 1960年代以降、教育制度の変化や学力重視の風潮により、創造美育の理念が後退。
  • 「自由すぎる教育」への批判や、評価基準の曖昧さが課題となった。

歴史的展開

運動の時期区分(新井哲夫による研究より)
  1. 第I期(1947–1951):久保貞次郎による個人啓蒙活動。
  2. 第II期(1952–1956):協会設立後、全国的に啓蒙活動が拡大。
  3. 第III期(1957–1959):運動の分裂と停滞。
  4. 第IV期(1960年代):児童中心主義と人間探究の模索期。
役割の変遷
  • 前期の役割:戦後民主主義にふさわしい美術教育の提示(1950年代末まで)。
  • 後期の役割:官製教育改革へのオルタナティブとしての児童中心主義(1960年代末に終焉)。

代表的な人物

  • 久保貞次郎:評論家・教育者。創造美育の理論的支柱。
  • 島﨑清海(1923–2015):長年にわたり本部事務局長を務め、資料の保存・整理に尽力。

所在地と資料

  • 所在地:浦和(埼玉県)に本部があったとされるが、現在の活動状況は不明。
  • 資料保管:島﨑清海旧蔵資料が東京文化財研究所に寄贈され、閲覧可能(事前予約制)[1]

現在の状況

  • 協会としての活動は公式に解散されていないものの、全国的な運動としては1960年代末に終焉。
  • 一部資料や研究は現在も保存・活用されており、美術教育史研究において重要な位置を占めている。

主な資料

  • 「創美年鑑:年譜と資料」 創造美育協会編 文化書房博文社 1978年
  • 「美術と教育の小径で」 原田勇 日本素朴派 1981年
  • 「瑛九 評伝と作品」 山田光春 青龍洞 1976年
  • 東京文化財研究所 島﨑清海資料
  • 「創造美育運動に関する研究」ほか 新井哲夫(群馬大学名誉教授)
  • 「福井創美の歩み」 堀栄治 1990年

出典




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