創造美育協会
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創造美育協会(そうぞうびいくきょうかい)は、1952年(昭和27年)に設立された民間の美術教育団体。その活動は「創造美育運動」と呼ばれ、児童中心主義に基づく美術教育の改革を目指した。創造美育協会は、単なる美術教育団体ではなく、戦後日本の教育思想と文化運動の交差点に位置する存在であり、戦後日本の美術教育に大きな影響を与えた。
設立の背景と目的
評論家の久保貞次郎、美術家の北川民次、瑛九などが中心となって1952年(昭和27年)に設立。各地に支部が設けられ、福井支部には、木水育男(奥右衛門)、中村一郎、原田勇、堀栄治、渡邊光一、谷口等、藤本よし子、斉藤陽子、川上高徳、田中美智子などが参加。
発起人
- 教師(学校、画塾):池田栄、川村浩章、木下繁、木水育男、桑原実、高橋俊麿、藤沢典明、室靖、湯川尚文
- 美術評論家:植村鷹千代(交渉中)、嘉門安雄、久保貞次郎、佐波甫、滝口修造、田近憲三
- 学者(教育学、心理学):岡宏子、周郷博、角尾稔、宗像誠也(交渉中)
- 画家:瑛九、北川民次
目的
- 子どもの個性と創造力を尊重する美術教育の推進。
- 教師や大人の権威・指示を排除し、自由な表現を重視。
- 児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を目指す。
主な活動内容
- 児童画の公開審査会:子どもの作品を公開し、教育的・芸術的観点から評価。
- 創造美育セミナール:教師向けの啓蒙・研修活動。
- 版画の普及活動:教育現場での版画技法の導入と普及。
- 美術家支援・コレクター育成:若手美術家の支援と小コレクター運動の推進。
- 出版活動:月刊誌『創造美育』などを通じて理論と実践を広めた。
創造美育協会の教育理論
創造美育協会の教育理論は、戦後の民主主義的価値観と深く結びついており、以下のような特徴がある。
- 1. 児童中心主義(Child-Centered Education)
- 子どもの内面から湧き出る創造力を尊重し、教師の指導よりも子どもの自由な表現を重視。
- 教師は「教える者」ではなく、「支援する者」として位置づけられた。
- 教材や技法の押し付けを避け、子どもが自らの感性で素材と向き合うことを奨励。
- 2. 芸術と教育の融合
- 子どもの絵を「教育的成果」ではなく「芸術作品」として評価。
- 芸術家が児童画を審査することで、教育現場に芸術的視点を導入。
- 美術教育を通じて、人格形成や社会性の育成を目指した。
- 3. 自由と民主主義の実践
- 戦後の民主化の流れの中で、教育の自由と個人の尊重を理念に据えた。
- 画一的な教育からの脱却を図り、創造性を育む教育を提唱。
創造美育運動成立の背景
- 1. 戦後民主主義の影響
- GHQによる教育改革の流れの中で、自由・個性・創造性の尊重が教育界に広がった。
- 教育基本法(1947年)や学習指導要領の改訂が、創造美育の理念と合致。
- 2. 芸術家との連携
- 3. 国際的な教育思想の影響
- ジョン・デューイの進歩主義教育や、ルドルフ・シュタイナーの人間中心教育などの思想が間接的に影響。
- 「学びは経験から生まれる」という理念が創造美育の根底にある。
創造美育運動がもたらした影響
- 1. 美術教育の革新
- 教師主導の模写中心教育から、子ども主体の創造的表現へと転換。
- 全国の教育現場において、自由画や版画などの創造的活動が広がった。
- 2. 教育理論の発展
- 教育学・美術教育学において、児童中心主義や表現教育の理論的基盤が形成された。
- 教育研究者による創造美育の分析が進み、教育史における重要な位置を占めるようになった。
- 3. 教育運動としてのモデル
- 創造美育運動は、教育現場と芸術界、評論家、研究者が連携した稀有な例として評価される。
- 教育運動が社会的・文化的に広がる可能性を示した。
- 4. 批判と限界の認識
- 1960年代以降、教育制度の変化や学力重視の風潮により、創造美育の理念が後退。
- 「自由すぎる教育」への批判や、評価基準の曖昧さが課題となった。
歴史的展開
- 運動の時期区分(新井哲夫による研究より)
- 第I期(1947–1951):久保貞次郎による個人啓蒙活動。
- 第II期(1952–1956):協会設立後、全国的に啓蒙活動が拡大。
- 第III期(1957–1959):運動の分裂と停滞。
- 第IV期(1960年代):児童中心主義と人間探究の模索期。
- 役割の変遷
- 前期の役割:戦後民主主義にふさわしい美術教育の提示(1950年代末まで)。
- 後期の役割:官製教育改革へのオルタナティブとしての児童中心主義(1960年代末に終焉)。
代表的な人物
- 久保貞次郎:評論家・教育者。創造美育の理論的支柱。
- 島﨑清海(1923–2015):長年にわたり本部事務局長を務め、資料の保存・整理に尽力。
所在地と資料
現在の状況
- 協会としての活動は公式に解散されていないものの、全国的な運動としては1960年代末に終焉。
- 一部資料や研究は現在も保存・活用されており、美術教育史研究において重要な位置を占めている。
主な資料
- 「創美年鑑:年譜と資料」 創造美育協会編 文化書房博文社 1978年
- 「美術と教育の小径で」 原田勇 日本素朴派 1981年
- 「瑛九 評伝と作品」 山田光春 青龍洞 1976年
- 東京文化財研究所 島﨑清海資料
- 「創造美育運動に関する研究」ほか 新井哲夫(群馬大学名誉教授)
- 「福井創美の歩み」 堀栄治 1990年
出典
- ^ “島﨑清海旧蔵資料の目録公開及び閲覧提供開始 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2025年10月17日閲覧。
- 創造美育協会のページへのリンク