兼平信秋とは? わかりやすく解説

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兼平信秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/18 02:48 UTC 版)

 
兼平 信秋
時代 江戸時代
生誕 不詳
死没 元和10年2月21日1624年4月8日
別名 出雲
氏族 称・藤原氏津軽氏支流兼平氏
父母 父:綱則
信孝

兼平 信秋(かねひら のぶあき)は、江戸時代前期の陸奥弘前藩の武士。

生涯

父・兼平綱則の家督1,200石を継いだ。後に加増があって1,700石になる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの時には尾崎喜蔵らの反乱に備えて、大光寺城にいた。津軽信枚の代に家老となった。元和7年(1621年)の柏木野狼狩では西の大将として参加している。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



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