佐藤元清とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐藤元清の意味・解説 

佐藤元清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/16 12:36 UTC 版)

佐藤 元清(さとう もときよ)は南北朝時代の武将。伊勢佐藤氏奥州藤原氏の末裔とされている。

(正平4年・貞和5年)1349年足利尊氏の弟直義高師直が対立し、師直が直義派を尽く追放し、実権を握った。翌年直義は南朝方に付き、尊氏方に反旗を翻した(観応の擾乱)。元清は尊氏方に加勢し、信濃守護小笠原為経の軍勢と合流しようと信濃に入った。

(正平6年・観応2年)1351年、尊氏は信濃軍に対し、直義を信濃に入国させないよう命じた。元清は高梨経頼、武田文元ら信濃の国人衆と共に筑摩方面に進軍し、直義方の諏訪氏香坂氏禰津氏らと交戦した。小県郡中尾の戦いで、2000余騎を率いた禰津行貞を退却させるという軍功をあげた。

翌年元清は駿河に進軍し、直義方の吉良氏配下、富長氏と戦った。同年直義は死亡し元清は伊勢に呼び戻され、伊勢の守護家仁木義長の配下となった。元清は今度は南朝方と戦うことになり、伊勢国内を転戦し武功をあげた。その褒美に近江の領地を与えられ、さらに摂津の橘御園の代官に任ぜられた。[1]

脚注

  1. ^ 水野大樹『室町時代人物事典』有限会社バウンド/新紀元編集部、2014年5月6日、468頁。ISBN 9784775311790 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  佐藤元清のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐藤元清」の関連用語

佐藤元清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐藤元清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐藤元清 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS