佐藤保 (政治運動家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐藤保 (政治運動家)の意味・解説 

佐藤保 (政治運動家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 06:02 UTC 版)

佐藤 保(さとう たもつ、1928年 - )は、日本政治運動家社会運動家

経歴

大分県に生まれる[1]。1945年福岡県中学修猷館を第4学年卒業し[2]工業専門学校を経て[3]、1953年九州大学経済学部を卒業[1]。1958年九州大学大学院経済学研究科を修了[4]。大学院では向坂逸郎教授のもとでマルクス経済学を研究し、向坂が中心となって発足した社会主義協会九州支部(後に支局)の事務も行った[3]

大学院在学中の1957年から総評本部に勤務し、1965年社会主義協会全国オルグとなり、1967年同事務局長を経て[1]、1998年同代表に就任する[5]

KGBとの繋がり

1979年にソ連から米国亡命した、元KGBスパイであるスタニスラフ・レフチェンコの証言により、佐藤は「アトス(ATOS)」というコードネームを持つKGBのエージェント(協力者)であったとされた[6]

著書

  • 『平和革命と労働者階級』(社会主義協会、1974年)
  • 『社会主義への道と統一戦線』(社会主義協会出版局、1980年)

脚注

  1. ^ a b c 佐藤保『社会主義への道と統一戦線』(社会主義協会出版局、1980年)
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員61頁
  3. ^ a b 佐藤保「思い出すことども 私と社会主義協会(4) 協会とのかかわりの始まり」 社会主義第593号(社会主義協会、2011年)54-61頁
  4. ^ 大内兵衛、向坂逸郎監修『大系国家独占資本主義 7 国家独占資本主義と労働組合運動』(河出書房新社、1971年)執筆者紹介
  5. ^ 佐藤保「道 学習活動をつよめよう」 社会主義第418号(社会主義協会、1998年)5-9頁
  6. ^ 週刊文春編集部編『レフチェンコは証言する』(文藝春秋、1983年)68-69頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  佐藤保 (政治運動家)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐藤保 (政治運動家)」の関連用語

佐藤保 (政治運動家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐藤保 (政治運動家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐藤保 (政治運動家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS