九条加々丸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 九条加々丸の意味・解説 

九条加々丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 08:44 UTC 版)

 
九条加々丸
時代 室町時代前期
生誕 応永28年(1421年
死没 康正3年1月20日1457年2月14日
改名 加々丸
別名 北殿
主君 後花園天皇
氏族 九条家
父母 父:九条満家、母:一条局
兄弟 加々丸政基
堀川局
政忠覚尋
テンプレートを表示

九条 加々丸(くじょう かかまる)は、室町時代前期の公卿関白九条満家の長男。

生涯

応永28年(1421年)、九条満家の長男として生まれる。しかし病弱で、20代になっても元服もしていなかった。そのため、満家の後を誰が継ぐのかで問題が発生した。

文安5年(1448年)10月に具合の悪かった満家は大和国にいる弟の経覚を京の屋敷に呼びよせた。そこで次期九条家家督として、満家の嫡男ではあるが28歳になっても未だに元服をしていない病弱の加々丸の10歳になる若君(九条政忠)か、満家の実子であり加々丸の弟にあたる4歳の茶々丸(九条政基)のどちらに家を継がせばよいかを問うたところ、思案した経覚はひとまず10歳の若君を家督とし、将来には茶々丸に家督を譲らせるということにすれば良いのではというと、満家はたいそう喜んでその通りにし、10歳の若君を満家の養子として家を継がせることとなった[1][2][3]

我が子が九条家の家督を継ぐ事となりこれを見届けた加々丸は、10月5日に教法院を戒師として出家の儀が執り行われた。この時、経覚より直綴が授けられている[4]。これより以後、加々丸は北殿と呼ばれるようになる[5]

康正3年(1457年)1月20日、死去[6]

系譜

脚注

注釈

出典

  1. ^ 酒井紀美『経覚』p150-p154
  2. ^ 小森正明「室町期における九条家領荘園について―尾張国二宮荘を中心として―」(『書陵部紀要』第60号)
  3. ^ 廣田浩治「中世後期の九条家家僕と九条家領荘園:九条政基・尚経期を中心に」(『国立歴史民俗博物館研究報告 第104集』)内の系図
  4. ^ 酒井紀美『経覚』p152
  5. ^ 酒井紀美『経覚』p153
  6. ^ 酒井紀美『経覚』p157

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  九条加々丸のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「九条加々丸」の関連用語

九条加々丸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



九条加々丸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの九条加々丸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS