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中山梅治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 09:55 UTC 版)

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中山梅治郎

中山 梅治郎(なかやま うめじろう、1869年6月21日明治2年5月12日[1]1919年大正8年)10月24日[2])は、衆議院議員立憲国民党)。

経歴

大和国磯城郡川東村(現在の奈良県磯城郡田原本町)出身。漢学を学び、1889年明治23年)ごろより青年義会・青年修弁会を興し、青年たちに立憲主義を唱えた[3]。農業を営み、その改良を図って、大日本農会などからたびたび表彰された[3]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。3回連続当選を果たした。

脚注

  1. ^ 『人事興信録』
  2. ^ 『衆議院議員略歴』
  3. ^ a b 『現代日本の政治家』立憲国民党33頁

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。



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