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上妻美章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 05:08 UTC 版)

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上妻 美章(こうづま よしあき、1923年 - 1989年)は、昭和時代の労働運動家[1]

経歴

福岡県生まれ。1950年九州大学法学部政治学科卒業[2]。在学中は野中卓、水原輝雄とともに九州大学共産党細胞の中心メンバーであった[3]。1953年左派社会党稲村順三衆議院議員の秘書となる。1957年総評書記局に入局し、調査部に配属。太田薫総評議長のブレーンとして「日本的組合主義」の草案を執筆。1963年総評教宣局情宣部長に就任し、『月刊総評』の編集などに従事。1968年岩井章総評事務局長と対立して総評を退職。宝樹文彦全逓委員長の招請で全逓に入職し、全逓中央労働学校の常任講師、制度・政策委員として活動した[4]

著書

  • 『日本共産党論』(労働大学[労大新書]、1964年)
  • 『労働運動ノート』(労働大学[労大新書]、1965年)
  • 『春闘――その歴史と課題』(労働旬報社、1965年)
  • 『今日の労働運動』(社会新報、1967年)
  • 『春闘――総評史の断面』(労働教育センター[労働運動実践叢書]、1976年)
  • 『世界労働者運動史』(社会新報、1978年)
  • 『労働運動の日々を生きて――上妻美章遺稿集』(刊行委員会編、上妻美章遺稿集刊行委員会、1991年)

脚注

  1. ^ 新川敏光『日本型福祉の政治経済学』三一書房、1993年
  2. ^ 上妻美章『春闘――その歴史と課題』労働旬報社、1965年
  3. ^ 松本弘也「編集五十年(4)西尾除名問題と民社党の結成」『進歩と改革』第683号、2008年11月
  4. ^ ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅵ――安保と三池の決戦から同盟、JCの結成へ』教育文化協会、発売:第一書林、1999年



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