上坂正信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/09 08:32 UTC 版)
上坂 正信(こうざか まさのぶ、生年不詳-1631年)は、安土桃山時代の武将。通称は八右衛門。豊臣秀長・豊臣秀保の家臣。のち豊臣秀吉に仕えた。
経歴
上坂正信は、近江国坂田郡西上坂城主上坂伊賀守意信の子として生まれた[1]。 天正年間には豊臣秀長およびその養嗣子・豊臣秀保に仕えたが、文禄3年(1594年)に主家が断絶した後、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉に召し出され、大和国で1000石を与えられた[2]。
秀長の没後、郡山藩が滅亡すると郷里の上坂村に帰り、祖家を継いだ[1]。 また慶長3年(1598年)4月6日には、増田長盛・長束正家・前田玄以の三名が連署した火防法令が上坂八右衛門(正信)に宛てて発せられている。この法令は各戸に鉄製行灯を設け、軒に水樋を備え、火元に奴婢を交代で徹夜させるなど厳重な防火措置を命じたもので、当時としては極めて周到な内容であった[3]。
寛永8年(1631年)5月26日に死去。法名は清岩阿浄栄信士と伝わる[1]。
脚注
参考文献
- 『戦国人名辞典』 新人物往来社、1990年、131頁。
- 『近江国坂田郡志 第二巻 改訂』 名著出版、1975年、767頁。
- 『近江国坂田郡志 第三巻 改訂』 名著出版、1971年、266頁。
- 上坂正信のページへのリンク