ヴィアー・ボークラーク (初代ヴィアー男爵)とは? わかりやすく解説

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ヴィアー・ボークラーク (初代ヴィアー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 15:58 UTC 版)

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初代ヴィアー男爵ヴィアー・ボークラーク
生誕1699年7月14日
死没1781年10月21日(1781-10-21)(82歳)
グレートブリテン王国ロンドンセント・ジェームズ・スクエア英語版
埋葬地
グレートブリテン王国、ロンドン、聖ジェームズ教会英語版
所属組織 グレートブリテン王国
部門 イギリス海軍
軍歴1713年 – 1749年
最終階級青色大将英語版
指揮ライム
キンセール
オックスフォード英語版
ハンプトン・コート英語版
配偶者メアリー・チェンバーズ

初代ヴィアー男爵ヴィアー・ボークラーク英語: Vere Beauclerk, 1st Baron Vere1699年7月14日1781年10月2日)は、グレートブリテン王国の貴族、庶民院議員、イギリス海軍の軍人。地中海でいくつかの軍艦を転々とした後、3等艦ハンプトン・コート英語版の艦長になり、1738年に海軍本部委員会英語版入りを果たした。その後、1746年から1749年まで上級海軍卿を務めた。

経歴

初代セント・オールバンズ公爵チャールズ・ボークラークダイアナ・ド・ヴィアー英語版第20代オックスフォード伯爵オーブリー・ド・ヴィアー英語版の娘)の息子として、1699年7月14日に生まれた[1]。1713年頃にイギリス海軍に入隊[2]、1721年に大尉に昇進した[1]。1722年から1727年まで地中海で勤務した後、6等艦ライム、5等艦キンセール、4等艦オックスフォード英語版3等艦ハンプトン・コート英語版といった艦船の艦長を務めた。

政界では1726年5月に兄チャールズの後任としてウィンザー選挙区英語版選出の庶民院議員になり、議会で与党ホイッグ党の一員として投票した[2]。1738年に下級海軍卿(Lord of Admiralty)として海軍本部委員会英語版入りを果たしたが、それに伴う補欠選挙では対立候補リチャード・オールドフィールド(Richard Oldfield)と同じ得票数(133票)になり、庶民院での採決の結果240票対160票でヴィアーの当選が宣告された[3]1741年イギリス総選挙プリマス選挙区英語版に鞍替えして再選したが、翌年に首相ロバート・ウォルポールが失脚するとヴィアーも海軍本部委員会から解任された[2]。1744年にブロード・ボトム内閣が成立してベッドフォード公爵海軍卿英語版に就任すると、ヴィアーも再び下級海軍卿に任命され、1745年に少将に、1746年に中将に[2]、1748年に大将に昇進した。また、1746年には上級海軍卿に任命された。その後、1749年に初代アンソン男爵ジョージ・アンソングレートブリテン副提督英語版に任命されると、大将である自身をさしおいて中将であるアンソン男爵が選ばれたことに不満を感じ、海軍卿を辞任して軍務から引退した[2]

1750年3月28日、グレートブリテン貴族であるミドルセックスにおけるハンワースのヴィアー男爵に叙された[1]

1761年から1771年までバークシャー統監英語版を務めた[2]

1781年10月2日にセント・ジェームズ・スクエア英語版で死去、6日に聖ジェームズ教会英語版で埋葬された[1]。息子オーブリーが爵位を継承した[1]

家族

ヴィアー男爵の紋章

1736年4月13日、メアリー・チェンバーズ(Mary Chambers、1783年1月21日没、トマス・チェンバーズの娘)と結婚[1]、4男2女をもうけた[4]

  • ヴィアー(1737年1月12日 – 1739年12月26日)
  • チェンバーズ(1738年2月22日 – 1747年7月16日)
  • サックヴィル(1739年4月12日 – 1739年4月25日埋葬)
  • オーブリー(1740年6月3日 – 1802年2月9日) - 第2代ヴィアー男爵、第5代セント・オールバンズ公爵
  • エリザベス(1742年7月 – 1746年4月26日)
  • メアリー(1743年12月4日 – 1812年1月13日) - 1762年10月2日、チャールズ・スペンサー卿英語版(1740年 – 1820年、第3代マールバラ公爵チャールズ・スペンサーの息子)と結婚、子供あり

出典

  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 26.
  2. ^ a b c d e f Lea, R. S. (1970). "BEAUCLERK, Lord Vere (1699-1781), of Hanworth, Mdx.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年5月9日閲覧
  3. ^ Lea, R. S. (1970). "New Windsor". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年5月9日閲覧
  4. ^ "St Albans, Duke of (E, 1683/4)". Cracroft's Peerage (英語). 2 April 2010. 2020年5月9日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代:
バーフォード伯爵
インチクィン伯爵
庶民院議員(ウィンザー選挙区英語版選出)
1726年 – 1741年
同職:インチクィン伯爵 1726年 – 1727年
マルパス子爵 1727年 – 1733年
シドニー・ボークラーク卿英語版 1733年 – 1741年
次代:
シドニー・ボークラーク卿英語版
ヘンリー・フォックス
先代:
アーサー・スタート英語版
ヘンリー・ボークラーク卿
庶民院議員(プリマス選挙区英語版選出)
1741年 – 1750年
同職:アーサー・スタート英語版
次代:
アーサー・スタート英語版
チャールズ・ソーンダース
軍職
先代:
アーチボルド・ハミルトン卿英語版
上級海軍卿
1746年 – 1749年
次代:
アンソン男爵
名誉職
先代:
セント・オールバンズ公爵
バークシャー統監英語版
1761年 – 1771年
次代:
セント・オールバンズ公爵
グレートブリテンの爵位
爵位創設 ヴィアー男爵
1750年 – 1781年
次代:
オーブリー・ボークラーク



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