ロッキー・ボイドとは? わかりやすく解説

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ロッキー・ボイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/16 16:03 UTC 版)

ロッキー・ボイド
Rocky Boyd
出生名 John Erskine Boyd
生誕 1936年(85 - 86歳)
出身地 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ボストン
ジャンル ハード・バップ
職業 ミュージシャン
担当楽器 テナー・サクソフォーン
レーベル Jazztime

ロッキー・ボイドRocky Boyd1936年 - )は、アメリカジャズサクソフォーン奏者。

略歴

バークリー音楽大学のサウスエンド音楽学校とボストン音楽院で学ぶ。ジャズに興味を持ち、1958年にニューヨークへと移り、ジャズ・クラブで演奏しながら勉強を続けた。ファイヴ・スポットで最初の日々を過ごし、演奏するようになっていった。やがてジョニー・グリフィンフィリー・ジョー・ジョーンズピート・ラロカと仕事をするようになる。その後、マックス・ローチ・クインテットにおいてスタンリー・タレンタインの後任となり、1961年にマイルス・デイヴィス・クインテットを離れたハンク・モブレーの後任として3ヶ月の間、代わりを務めた。そして1962年初頭にはフィリー・ジョー・ジョーンズ・クインテットと共にツアーに出ている[1]。彼自身の唯一知られている録音は、1961年にジャズタイム・レコード (Jazztime Records)で録音された『イーズ・イット』である。

ニューヨークにいる間、彼はドラマーのサニー・マレイと一緒に生活していた。2003年のインタビューで、次のように回想している。「[彼が、]私のキャリアを始めたようなものです……彼はホットでした。当時はすごくホットでしたよ。彼はサム・リヴァースを音楽に取り入れ、トニー・ウィリアムスを音楽に取り入れることを責務としていました……。彼は私の始まりを助けてくれたんです。私たちはダウンタウンで一緒に暮らしていて、彼は私の勉強をとても励ましてくれました」[2]

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • 『イーズ・イット』 - Ease It (1961年、Jazztime)

脚注

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