ルーカ・ガウリコとは? わかりやすく解説

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ルーカ・ガウリコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/07 14:05 UTC 版)

Ephemerides recognitae et ad unguem castigatae, 1533
Super diebus decretoriis quos etiam criticos vocitant axiomata, 1546

ルーカ・ガウリコ(Luca Gaurico, 1476年3月12日 - 1558年3月6日)は、イタリア数学者占星術師カトリーヌ・ド・メディシスに重用されたこともあるため、フランス式にリュック・ゴーリック(Luc Gauric)と呼ばれることもある。人文主義者ポンポーニョ・ガウリコの兄。

生涯

サレルノ地方ガウロで生まれた。父ベルナルディノは文法学者だった。当初、数学を講じており、ジュール・セザール・スカリジェも門下生であった。

彼は占星術師としても活動し、予言で名を成してパトロンを得た一方で、権力者の不興を買って受難に見舞われたこともあった。受難の中で有名なのは、ボローニャの一件である。1506年、ガウリコはボローニャに赴いた際、領主ベンティヴォーリョが1年以内に失脚すると予言した。これに激怒したベンティヴォーリョは、ガウリコを5度にわたる吊し刑に処したという(ちなみに予言は的中したとされる)。

こうして彼は占星術的予言を数々行っていたにもかかわらず、1545年にはローマ教皇パウルス3世によってチヴィタ=ドゥカーレの司教に任命された。しかし、その4年後に司教の座を自ら退き、ローマで晩年を過ごした。

著作

ガウリコは占星術方面で多くの著作を刊行した。そのうち21作品については、没後にバーゼルで3巻本の作品集"Opera omnia quae quidem exstant Lucae Gaurici"として纏められた(1575年)。 この全集に収録された作品以外にも、プトレマイオスの『アルマゲスト』を復刻するなど、いくつかの著作を発表したようである。





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