ルキウス・マミリウス・ウィトゥルスとは? わかりやすく解説

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ルキウス・マミリウス・ウィトゥルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 04:00 UTC 版)


ルキウス・マミリウス・ウィトゥルス
L. Mamilius Q.f. M.n. Vitulus
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 マミリウス氏族
官職 執政官(紀元前265年)
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ルキウス・マミリウス・ウィトゥルスラテン語: Lucius Mamilius vitulus、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前265年執政官(コンスル)を務めた。

出自

プレブス(平民)であるマミリウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はクィントゥス、祖父はマルクスである。紀元前262年の執政官クィントゥス・マミリウス・ウィトゥルスとは兄弟。

伝説では、マミリウス氏族はラティウムのトゥスクルム(en)にその起源を持ち、都市の建設者とされるオデュッセウスキルケーの間の子であるテーレゴノスの子孫と称している。ニーブルはコグノーメン(第三名、家族名)の「ウィトゥルス」は、「イタルス」と同語源であると推測している。しかし、年代記録者はウィトゥルスのコグノーメンは脹脛に由来するとしている[1]

経歴

第一次ポエニ戦争勃発1年前の紀元前265年、ウィトゥルスは執政官に就任。マミリウス氏族では最初の執政官であった。同僚執政官はクィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲスであった[2]。この都市に、エトルリア都市ウォルシニ(en)の内紛にローマが軍事介入し、同僚執政官のグルゲスが戦死している。ウォルシニは同年あるいは翌年に陥落し、反乱首謀者は処刑、他の市民は移住させられ都市は破壊された。しかし、この出来事に関するウィトゥルスの関与は不明である[3]

脚注

  1. ^ Niebuhr , Hist. of Rome, vol. ip 14
  2. ^ カピトリヌスのファスティ
  3. ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』、X, 42

参考資料

関連項目

公職
先代
デキムス・ユニウス・ペラ
ヌメリウス・ファビウス・ピクトル
執政官
同僚:クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲス
紀元前265年
次代
アッピウス・クラウディウス・カウデクス
マルクス・フルウィウス・フラックス



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