ルイス・マリア・エチェベリアとは? わかりやすく解説

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ルイス・マリア・エチェベリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 00:45 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はエチェベリア第二姓(母方の)はイガルトゥアです。(Template:スペイン語圏の姓名
ホセ・マリア・エチェベリア
名前
本名 ルイス・マリア・エチェベリア・イガルトゥア
Luis María Echeberría Igartua
ラテン文字 Luis María Echeberría
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1940-03-24) 1940年3月24日
出身地 アスア
没年月日 (2016-10-19) 2016年10月19日(76歳没)
身長 175cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF (CB)
ユース
ゲチョ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1958-1960 ゲチョ
1960-1961 バスコニア 38 (0)
1961-1972 アスレティック・ビルバオ 259 (1)
1972-1973 バラカルド 9 (0)
通算 306 (1)
代表歴
1961 スペイン B 1 (0)
1962-1963 スペイン 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイス・マリア・エチェベリア・イガルトゥアLuis María Echeberría Igartua1940年3月24日 - 2016年10月21日)は、スペインバスク州アスア出身の元サッカー選手。ポジションはDF。元スペイン代表

クラブ経歴

バスク州アスアに生まれ、1961年に21歳でCDバスコニアからアスレティック・ビルバオに加入した[1]。1961年9月13日のセビージャFC戦でラ・リーガデビューを果たすと、デビューシーズンはリーグ戦29試合に出場した。

翌シーズンは最終ラインの中心選手とな李、GKのホセ・アンヘル・イリバルヘスス・アラングレンイニャキ・サエスらとともにクラブの守備を支え、1968-69シーズンにはコパ・デル・レイを制した[2]。アスレティック・ビルバオでは公式戦300試合以上に出場し、1973年にバラカルドCFで現役を引退した。

代表経歴

1962年6月6日、1962 FIFAワールドカップのグループステージ最終節ブラジル代表戦にて、スペイン代表デビューを果たした。

タイトル

アスレティック・ビルバオ

脚注

  1. ^ La Peña del Athletic de Zaragoza honra a Echeberría” (スペイン語). El Periódico de Aragón (2008年2月2日). 2022年4月5日閲覧。
  2. ^ “'Txutxi' Aranguren, un defensa total” (スペイン語). El País. (2011年3月22日). ISSN 1134-6582. https://elpais.com/deportes/2011/03/22/actualidad/1300782112_850215.html 2022年4月5日閲覧。 

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