ラ・ガリソニエール_(装甲艦)とは? わかりやすく解説

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ラ・ガリソニエール (装甲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 18:34 UTC 版)

ラ・ガリソニエール (La Galissonnière) はフランス海軍艦艇ラ・ガリソニエール級装甲艦の一隻。

艦歴

1868年6月22日に起工。1872年5月7日進水。1874年4月20日に海上公試が開始され、1874年7月18日に就役した。

「ラ・ガリソニエール」は1874年5月16日に、Perigot少将が指揮する太平洋戦隊の旗艦となった。スエズ運河を通過し、世界一周をして1877年3月19日にブレストに戻り、予備役となった。1878年8月15日に再就役し、10月6日にPeyron少将が指揮するカリブ戦隊の旗艦となった。2年後、「ラ・ガリソニエール」はシェルブールへ向かい、1880年5月13日に予備役となった。

1881年5月27日、「ラ・ガリソニエール」はAlfred Conrad少将が指揮するレバント戦隊の旗艦となった。フランスのチュニジア侵攻の際、「ラ・ガリソニエール」は1881年7月にスファックスを砲撃した。1882年のイギリス艦隊によるアレクサンドリア砲撃の直前、「ラ・ガリソニエール」はアレクサンドリアに停泊していた。1883年中、「ラ・ガリソニエール」は地中海に留まった。

「ラ・ガリソニエール」は1884年4月に準同型艦の「ビクトリーズ」にかわってアメデ・クールベ中将が指揮する極東戦隊の旗艦となった。 清仏戦争において、「ラ・ガリソニエール」は馬江沖海戦に参加し、1884年10月の淡水の戦いでは上陸部隊を運んだ。それ以降の戦争中の「ラ・ガリソニエール」の動向は不明である。1886年2月にフランスへの帰還を命じられ、シェルブールで係船された後、1894年12月24日に廃棄処分となった。

参考文献

  • de Balincourt, Captain; Vincent-Bréchignac, Captain (1976). “The French Navy of Yesterday: Ironclad Corvettes”. F.P.D.S. Newsletter (Akron, OH: F.P.D.S.) IV (4): 26–32. 
  • Wilson, H. W. (1896). Ironclads in Action: A Sketch of Naval Warfare From 1855 to 1895. 2. Boston: Little, Brown 
  • Wright, Christopher C. (1982). “La Galissonnière, the French Flagship at Alexandria in 1882”. Warship International (Toledo, OH: International Naval Research Organization) XIX (1). ISSN 0043-0374. 



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