モード・オブ・ランカスター (レスター伯爵夫人)とは? わかりやすく解説

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モード・オブ・ランカスター (レスター伯爵夫人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 04:18 UTC 版)

モード・オブ・ランカスター
Maud of Lancaster

称号 レスター伯爵夫人
下バイエルン=シュトラウビング公
エノー伯
出生 (1340-04-04) 1340年4月4日
イングランド王国、リンジー、ボリンブロク城
死去 (1362-04-10) 1362年4月10日(22歳没)
イングランド王国
配偶者 ラルフ・スタッフォード
  下バイエルン=シュトラウビング公ヴィルヘルム1世
家名 プランタジネット家
父親 初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモント
母親 イザベラ・オブ・ボーモント英語版
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モード・オブ・ランカスター(Maud of Lancaster, Countess of Leicester, 1340年4月4日 - 1362年4月10日)またはエノー伯妃マティルダ(Matilda, Countess of Hainault)は、14世紀のイングランド貴族女性。初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモントイザベラ・オブ・ボーモント英語版の長女としてボリンブロク城で生まれた。

生涯

モードはまだ幼い頃、1344年11月1日に初代スタッフォード伯ラルフ・スタッフォードの長男ラルフ・スタッフォードと最初に結婚した[1]。夫の死後の1352年に、ヴィッテルスバッハ家下バイエルン=シュトラウビング公ヴィルヘルム1世と2度目の結婚をした。ヴィルヘルム1世との間には娘が1人生まれたが1356年に早世した。

ランカスター公位(第一次創設)は1361年の父の死とともに断絶したが、モードは妹のブランシュ・オブ・ランカスターとともに父の領地と他の称号の共同相続人となった[2]レスター伯位は精神異常のため1358年から1389年に死去するまで幽閉されていたモードの2番目の夫ヴィルヘルム1世に継承され、ランカスター伯位は妹の夫ジョン・オブ・ゴーントに継承された。モードは1年後に子女を残すことなく死去した。そのため、モードの死とともに父の遺産は妹ブランシュとその夫ジョン・オブ・ゴーントに継承された[2]。この遺産はランカスター家の政治的、財政的基盤となった。ランカスター家のイングランド王ヘンリー4世はモードの甥にあたる。

参考文献

  1. ^ Alison Weir: Britain's Royal Families. The Complete Genealogy. The Bodley Head, London 1999, p. 76
  2. ^ a b Marjorie Anderson: Blanche, Duchess of Lancaster. In: Modern Philology. vol. 45, 1948, p. 154.



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