ムハンマド・ナイームとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ムハンマド・ナイームの意味・解説 

ムハンマド・ナイーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 05:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ムハンマド・ナイーム・ハーン(Mohammad Naeem Khan[1]1912年 - 1978年4月27日)は、アフガニスタン政治家外交官。王政時代に各国大使、外務大臣等を務めた。ムハンマド・ダーウードの実弟。

旧王族の一人で、父ムハンマド・アズィーズ・ハーンは、ムハンマド・ナーディル・シャー国王の異母弟。

経歴

カーブルのハビビア及びエステクラール貴族学校で学ぶ。

  • 1929年 – 外務省職員
  • 1931年 – 外務省政治部長
  • 1932年~1934年 – 駐伊大使
  • 1934年~1937年 – 外務次官
  • 1937年~1946年 – 教育相
  • 1940年~1946年 – 副首相を兼任
  • 1937年~1939年 - パシュトゥーン人組織「パシュト・トルィナ」の指導者
  • 1946年~1947年 – 駐伊大使
  • 1948年~1950年 – 駐米大使
  • 1953年~1963年 – 第二副首相兼外務相
  • 1963年~1973年 – 公務から退き、私人となる。

兄ダーウードのクーデター後、1973年~1978年、外交問題担当大統領顧問を務める。

1978年4月27日、アフガニスタン人民民主党の将校による大統領宮殿襲撃の際に殺害された。

パーソナル

妻ザハラは、ザーヒル・シャー国王の妹。1男1女を有した。

英語とフランス語を話した。

脚注

  1. ^ State funeral for Afghanistan’s former President”. UNAMA. 2012年12月9日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ムハンマド・ナイーム」の関連用語

ムハンマド・ナイームのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ムハンマド・ナイームのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのムハンマド・ナイーム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS