マルグレーテ・ア・ダンマーク (1895-1992)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/26 17:17 UTC 版)
| マルグレーテ Margrethe |
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| リュクスボー家 | |
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デンマーク王女マルグレーテ、1921年
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| 全名 |
一覧参照
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| 出生 | 1895年9月17日 |
| 死去 | 1992年9月18日(97歳没) |
| 配偶者 | ルネ・ド・ブルボン=パルム |
| 子女 | |
| 父親 | ヴァルデマー・ア・ダンマーク |
| 母親 | マリー・ドルレアン |
マルグレーテ・ア・ダンマーク(デンマーク語: Prinsesse Margrethe af Danmark, 1895年9月17日 - 1992年9月18日)は、デンマークの王族。クリスチャン9世の孫娘にあたる。
生涯
クリスチャン9世の三男ヴァルデマー王子とその妻でシャルトル公ロベール・ドルレアンの娘であるマリーの間の第5子、長女として生まれた。全名はマルグレーテ・フランソワーズ・ルイーセ・マリーエ・ヘレーネ(Margrethe Françoise Louise Marie Helene)。デンマーク王家はルター派信徒だったが、両親の婚姻契約に基づき、娘のマルグレーテだけは母と同じカトリック信徒として育てられた。一家は王室の末席に位置しており、4人の兄たちのうち3人が貴賤結婚によって王位継承権を放棄している。
1921年6月9日にコペンハーゲンにおいて、パルマ公ロベルト1世の息子ルネと結婚した。ルネはオーストリア皇后ツィタの弟である。この結婚に伴い、デンマーク議会はカトリック信徒との結婚を根拠にマルグレーテ王女の王位継承資格を剥奪した。
夫妻は子供たちとともにフランスで暮らしたが、1939年にナチス・ドイツのフランス侵攻が起きると国外に逃れ、スペイン、ポルトガルを経てアメリカ合衆国に避難した。
1992年、97歳の誕生日を迎えた翌日にコペンハーゲンで死去した。
子女
夫との間に3男1女をもうけた。
- ジャック・マリア・アントワーヌ・ロベール・ワルドマル・シャルル・フェリックス・シクスト・アンスガル(1922年 - 1964年) - 1947年、ビアギッテ・ア・ホルスタイン=リズラボー女伯と結婚
- アンヌ・アントワネット・フランソワーズ・シャルロット・ジタ・マルグリット(1923年 - 2016年) - 1948年、ルーマニア元国王ミハイ1世と結婚
- ミシェル・マリー・グザヴィエ・ワルドマル・ジョルジュ・ロベール・カール・エマール(1926年 - 2018年) - 1951年、ブロイ公女ヨランドと結婚(1999年離婚)、2003年にイタリア王女マリーア・ピアと再婚
- アンドレ・マリー(1928年 - 2011年) - 1960年、Marina Gacryと結婚
参考文献
- Die großen Dynastien, Karl Müller Verlag (1996) ISBN 3-86070-561-X
- Europas Königshäuser, VGS Verlagsgesellschaft Köln (1991)
外部リンク
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