マティアス・ディトゥーロとは? わかりやすく解説

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マティアス・ディトゥーロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/28 17:17 UTC 版)

マティアス・ディトゥーロ
ウニベルシダ・カトリカでのディトゥーロ (2018年)
名前
本名 マティアス・エセキエル・ディトゥーロ・クルト
Matías Ezequiel Dituro Curto
ラテン文字 Matías DITURO
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1987-05-08) 1987年5月8日(37歳)
出身地 ビガンダ
身長 183cm
選手情報
在籍チーム エルチェCF
ポジション GK
背番号 13
ユース
インデペンディエンテ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2009 インデペンディエンテ 0 (0)
2008 クルブ・アルマグロ(loan) 0 (0)
2010 コレジオ・ナシオナル・イクイトス 37 (0)
2010 アラベス 12 (0)
2011-2012 RCセルタB 15 (0)
2012-2013 ドウグラス・ハイグ 3 (0)
2013 ギジェルモ・ブロウン 13 (0)
2014 クルブ・アウロラ 19 (0)
2014-2015 ホルヘ・ウィルステルマン 43 (4)
2015-2016 デポルテス・アントファガスタ 44 (1)
2017-2018 クルブ・ボリバル 42 (1)
2018-2023 ウニベルシダ・カトリカ 90 (0)
2021-2022 RCセルタ(loan) 38 (0)
2023 ファティ・カラギュムリュク 11 (0)
2024- エルチェ
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マティアス・ディトゥーロ1987年5月8日 - )はアルゼンチンのサッカー選手。ポジションはGK。エルチェCF所属。

経歴

14歳の時にフィールドプレーヤーからゴールキーパーに転向した。CAインデペンディエンテにアカデミー在籍期間を含め16年間所属し、2008年にはクルブ・アルマグロに期限付き移籍した。

2010年にペルーへ移籍したのちに才能を開花させ、2010-11シーズンの冬の移籍市場でデポルティーボ・アラベスに引き抜かれた。2011年にはセルタ・デ・ビーゴに移籍するが、Bチームの出場が主でトップチームで出場することはなかった。

2014年にボリビアに拠点を移し、クルブ・アウロラに加入した。その後、数クラブを経てクルブ・ボリバルに加入し、2017年4月25日には、自陣ボックス内からロングシュートを放ち得点を決めている[1][2]。守護神として活躍し、同クラブのリーグ優勝を勝ち取っている。

2018年にはウニベルシダ・カトリカに移籍した。2020年2月にはウニベルシダ・デ・チレとのクラシコでサポーターが暴徒化したのを見ると、その鎮静化に協力している[3]

2021年7月8日、RCセルタに2022年6月30日までのレンタル移籍(買取オプション付き)で加入することが発表された[4]

2024年1月8日、スペインのエルチェCFへフリーで移籍した[5]

人物

大会でPKを最も多く止めたGKとして世界記録を保持しており、8つのPKのうち7つをセーブしている[6]

脚注

外部リンク





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