マイケル・スチュアート (ミュージシャン)
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マイケル・スチュワート(Michael Stewart、本名・マイケル・ガッセン・スチュワート、1945年4月19日 - 2002年11月13日)は、アメリカのミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサー。フォークロック・バンド、ウィ・ファイヴ(We Five)のオリジナル・メンバー。ギタリストとして活躍し、グラミー賞のノミネート経験もある。音楽プロデューサーとしては、ビリー・ジョエルの『ピアノ・マン』などを手掛け、トム・ジョーンズやケニー・ランキンなどのアーティストをプロデュースしたことで知られる。
複雑なハーモニーを用いたことで知られるウィ・ファイヴは「You Were on My Mind」をリリースし、キャッシュボックス・チャートで1位、Billboard Hot 100で3位になった(この曲は昔ながらのエアプレイ・リストで今でも人気がある)。最優秀新人グラミー賞にノミネート。翌年、彼らは「Let's Get Together」でトップ40・ヒットを記録した。
人物
スチュワートは、キングストン・トリオのかつてのメンバーであり、後にシンガーソングライターとして成功したジョン・スチュワート(1939年–2008年)の兄であり、アバンギャルド・グループであるシュシュ(Xiu Xiu)の代表メンバーを務めるジェイミー・スチュワートの父である。
1990年代初頭には一度音楽業界を離れ、コンピュータープログラマーとして活動した。スチュワートは、ミュージシャンやアレンジャーに向けて、DigidesignとAdobeのためにシステムを設計した。彼の技術的な創造物には、PC用のセッション8・デジタル・オーディオ・ワークステーション、インパルス・ドラム・トリガー、ジョージ・ダリー(George Daly)と共同設計したフィール・ファクトリー、コンピュータ化された音楽デバイスに人間のテンポに従うよう指示するヒューマン・クロックなどがある。
一度、音楽業界を離れたスチュワートだったが、後に息子であるジェイミーのバンド、インデストラクティブル・ビート・オブ・パロ・アルト(The Indestructible Beat of Palo Alto、通称・IBOPA)でベースを演奏した[1]。
スチュワートは、2002年11月13日に亡くなったと伝えられており、長い期間病気を患い、闘病していたという[2]。しかし、ジェイミーは父の死が自殺であることを認めている[3]。
書籍『Wounds to Bind: A Memoir of the Folk-Rock Revolution』は、ウィ・ファイヴの共同創設者であるジェリー・バーガンによる、スチュワートとの子供時代の友情を取り入れた回想録であり、スチュワートの生、死、創造力について熟考している[4]。
脚注
- ^ Espe, Erik (May 31, 1996), “They Got the Beat”, Palo Alto Weekly 2010年2月25日閲覧。
- ^ “Michael Stewart”. Variety. (2002年11月18日)
- ^ “Jamie Stewart: Where Xiu Xiu's New Album 'Always' Really Came From”. Huffington Post (2012年3月29日). 2013年8月26日閲覧。
- ^ Jerry Burgan; Alan Rifkin. Wounds to Bind: A Memoir of the Folk-Rock Revolution. Rowman & Littlefield. ISBN 9780810888616 2016年5月7日閲覧。
外部リンク
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