ベルリン天文台とは? わかりやすく解説

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ベルリン天文台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 07:54 UTC 版)

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ベルリン天文台

ベルリン天文台 (Berliner Sternwarte) はドイツ天文台である。著名な業績としては海王星の発見に関わっている。

ベルリン天文台の起源はブランデンブルク科学協会(1744年にプロイセン科学アカデミーになる)が設立された1700年にはじまる。協会は天文台を所有していなかったが、私設天文台で観測していたゴットフリート・キルヒが加わっていた。1711年に最初の観測所が設置され暦の計算で予算をまかなった。

1825年にヨハン・フランツ・エンケがプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 に所長に任命され、アレクサンダー・フォン・フンボルトの助けをうけて国王から、本格的な天文台の予算を得ることに成功した。ただし週のうち2晩は天文台を市民に公開することが条件であった。有名な建築家Karl Friedrich Schinkelの設計による新天文台は1835年に使用が開始された。IAU天文台コードは 548である。

オリジナルの天文台はベルリンの郊外に建てられたが、時代とともに観測に適さなくなり、1913年に天文台はポツダムのバーベルスベルクへと移設された。IAU の天文台コードは 536となった。ベルリンにはいくつかの天文台が残っている。IAU コード544の Wilhelm Foerster Sternwarte、IAU コード604のアルヒェンホルト天文台、IAU コード537のウラニア天文台、Bruno H. Bürgel Sternwarteがある。

ベルリン天文台歴代所長

1. 1700–1710
ゴットフリート・キルヒ (1639–1710)
9. 1756–1758
Johann Jakob Huber (1733–1798)
2. 1710–1716
Johann Heinrich Hoffmann (1669–1716)
10. 1758
Johann Albert Euler (1734–1800)
3. 1716–1740
Christfried Kirch (1694–1740)
11. 1764–1787
Johann III Bernoulli (1744–1807)
4. 1740–1745
Johann Wilhelm Wagner (1681–1745)
12. 1787–1825
ヨハン・ボーデ (1747–1826)
5. 1745–1749
August Nathanael Grischow (1726–1760)
13. 1825–1863
ヨハン・フランツ・エンケ (1791–1865)
6. 1752
ジェローム・ラランド (1732–1807)
14. 1865–1903
ヴィルヘルム・フェルスター (1832–1921)
7. 1754
Johann Kies (1713–1781)
15. 1904–1920
ヘルマン・シュトルーベ (1854–1920)
8. 1755
フランツ・エピヌス(1724–1802)
16. 1921–1946
Paul Guthnick (1879–1947)

特筆される観測記録




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