ヘンリー・テンプル (初代パーマストン子爵)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・テンプル (初代パーマストン子爵)

(ヘンリー・テンプル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 01:32 UTC 版)

ヘンリー・テンプル
Henry Temple
生年月日 1673年
没年月日 1757年6月10日
出身校 ケンブリッジ大学キングス・カレッジ
所属政党 ホイッグ党
子女 次男・リチャード・テンプル
親族 父・サー・ジョン・テンプル(アイルランド庶民院議長)

グレートブリテン王国
庶民院議員
選挙区 (イースト・グリンステッド選挙区英語版→)
(ボッシニー選挙区英語版→)
ウェブリー選挙区英語版
当選回数 3回
在任期間 1727年 - 1747年
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初代パーマストン子爵ヘンリー・テンプル英語: Henry Temple, 1st Viscount Palmerston1673年頃 – 1757年6月10日)は、イギリスの政治家、アイルランドの地主。ホイッグ党所属。

生涯

アイルランド庶民院議長英語版サー・ジョン・テンプル英語版とジェーン・ヤーナー(Jane Yarner、サー・アブラハム・ヤーナーの娘)の長男として生まれた[1]。1689年から1693年頃までイートン・カレッジで教育を受けた後、1693年春にケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学した[2]

1715年、Chief remembrancer of the court of Exchequer for Irelandに任命され、1757年に死去するまで務めた[1]。1723年3月12日、アイルランド貴族パーマストン子爵およびマウント・テンプルのテンプル男爵に叙された[3]

1727年イギリス総選挙イースト・グリンステッド選挙区英語版から出馬して当選、1734年イギリス総選挙ボッシニー選挙区英語版に、1741年イギリス総選挙ウェブリー選挙区英語版に転じ、いずれも再選を果たした。1747年イギリス総選挙では出馬しなかった。20年間にわたる任期において、常に与党側で投票した[1]

1736年、パーマストン子爵はハンフリー・シデナム英語版からブロッドランズ英語版を購入、直後にブロッドランズの庭の改装工事にとりかかった。同年に一時重病にかかり、バースで治療を受けた[4]。また、ジョージ・バークリー西インド諸島における計画に助力を与えたという[2]

1757年6月10日に死去、長男ヘンリーが早世したため孫ヘンリー英語版が爵位を継承した[1]

人物

マールバラ公爵夫人サラ・チャーチルと文通を交わした[4]チャールズ・ハンベリー・ウィリアムズ英語版はパーマストン子爵を「リトル・ブロッドボトム・パーマストン」(Little Broadbottom Palmerston)と呼び、彼についていくつかの寸劇を書いた[4]

家族

1703年6月10日、アン・ホーブロン(Anne Houblon、1683年 – 1735年12月13日、イングランド銀行総裁アブラハム・ホーブロン英語版の娘)と結婚[1]、2男をもうけた。

  • ヘンリー(1740年8月18日没) - 第2代パーマストン子爵ヘンリー・テンプル英語版の父
  • リチャード(1726年頃 – 1749年8月8日) - 庶民院議員

1738年5月11日、第4代準男爵フランシス・ジェラードの娘イサベラ(1762年8月11日没[5])と再婚したが、子供はいなかった[6]

脚注

  1. ^ a b c d e Lea, R. S (1970). "TEMPLE, Henry, 1st Visct. Palmerston [I] (c.1673-1757), of East Sheen, Surr. and Broadlands, Hants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月1日閲覧
  2. ^ a b "Temple, Henry (TML693H)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ "No. 6136". The London Gazette (英語). 5 February 1723. p. 1.
  4. ^ a b c Courtney, William Prideaux (1898). "Temple, Henry (1673?-1757)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 56. London: Smith, Elder & Co. p. 15.
  5. ^ Cokayne, George Edward (1906) Complete Baronetage. Volume V. Exeter: W. Pollard & Co. LCCN 06-23564. p. 25
  6. ^ Cokayne, George Edward (1900) Complete Baronetage. Volume I. Exeter: W. Pollard & Co. LCCN 06-23564. p. 143
グレートブリテン議会英語版
先代
シャノン子爵
エドワード・コニャーズ英語版
庶民院議員(イースト・グリンステッド選挙区英語版選出)
1727年1734年
同職:シャノン子爵
次代
ミドルセックス伯爵英語版
エドワード・コニャーズ英語版
先代
ジョン・ヘッジス英語版
ジェームズ・チャムリー英語版
庶民院議員(ボッシニー選挙区英語版選出)
1734年1741年
同職:タウンゼンド・アンドリューズ英語版 1734年 – 1737年
ペレグリン・ポウレット英語版 1737年 – 1741年
次代
リチャード・リッデル英語版
トマス・フォスター
先代
サー・ジョン・バックワース準男爵英語版
ジェームズ・コーンウォール英語版
庶民院議員(ウェブリー選挙区英語版選出)
1741年1747年
同職:カーペンター男爵英語版
次代
マンセル・ポウェル
サヴェージ・モスティン英語版
アイルランドの爵位
新設 パーマストン子爵
1723年 – 1757年
次代
ヘンリー・テンプル英語版



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