ヘンリー・ディグビー (初代ディグビー伯爵)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・ディグビー (初代ディグビー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 02:09 UTC 版)

初代ディグビー伯爵ヘンリー・ディグビー英語: Henry Digby, 1st Earl Digby1731年7月21日1793年9月25日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1755年から1765年まで庶民院議員を務めた[1]

生涯

エドワード・ディグビー閣下と妻シャーロット(Charlotte、旧姓フォックス(Fox)、1778年11月没、スティーブン・フォックス英語版の娘)の息子として、1731年7月21日に生まれた[2]。1739年にウェストミンスター・スクールに入学、一旦中退したが1743年から1748年まで再び同校に通った[1]

1749年5月、南部省秘書官の1人として南部担当国務大臣第4代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの部下になり、1750年にはチャールズ・ハンベリー・ウィリアムズ(母の兄弟にあたるヘンリー・フォックスの友人)の秘書官としてウィリアムズに随行し、神聖ローマ帝国ポーランド・リトアニア共和国を旅した[1]

1754年イギリス総選挙ウェルズ選挙区英語版から出馬する予定だったが、兄エドワードがウェルズ選挙区から出馬したため、ディグビーは出馬できなかった[1]。フォックスの尽力により1755年11月にジョージ・オーガスタス・セルウィン英語版の支持を受けて、ラガーショル選挙区英語版の補欠選挙で当選した[1][3]。このとき、フォックスが南部担当国務大臣を務めていたため、ディグビーは同11月に南部省政務次官に任命され、1756年にフォックスが退任するとディグビーも政務次官を退任した[1]。1757年11月30日に兄エドワードが死去すると、アイルランド貴族におけるディグビー男爵位を継承した[2]

1761年イギリス総選挙ではウェルズ選挙区英語版から出馬して、無投票で当選した[4]。1763年4月にグレンヴィル内閣が成立して、フォックスがホランド男爵に叙されると、ディグビーは下級海軍卿(Lord of the Admiralty)に任命され、「次の会期」にグレートブリテン貴族への叙爵を約束されたが、実際に叙爵が行われたのは1765年7月にグレンヴィル内閣が倒れ、ディグビーが下級海軍卿の職を失うときだった[1]。1765年8月、ディグビーはグレートブリテン貴族であるドーセット州におけるシェアボーンのディグビー男爵に叙された[2]。ディグビーには庶民院で演説した記録はなかった[1]

1790年11月1日、グレートブリテン貴族であるリンカンシャーにおけるディグビー伯爵ウォリックシャーにおけるコーゾル子爵に叙された[2]

1793年9月25日にシェアボーンで死去、同地で埋葬された[2]。2人目の妻との間の息子エドワードが爵位を継承した[2]

家族

1763年9月4日[1]、エリザベス・フィールディング(Elizabeth Feilding、1742年ごろ – 1765年1月19日没、チャールズ・フィールディング閣下の娘)と結婚、1男をもうけた[2]

  • エドワード(1764年6月20日 – ?) - 夭折[2]

1770年11月10日、メアリー・ノウルズ(Mary Knowles、1794年2月26日没、ジョン・ノウルズの娘[注釈 1])と結婚、3男2女をもうけた[1][5]

  • エドワード(1773年1月6日 – 1856年5月12日) - 第2代ディグビー伯爵[2]
  • ロバート(1775年4月10日 – 1830年9月25日[5]
  • スティーブン(1776年 – 1795年[5]
  • シャーロット・マリア(1807年5月15日没) - 1796年7月22日、ウィリアム・ウィンフィールド英語版(1773年? – 1858年3月20日/21日、ジョージ・ウィンフィールドの長男)と結婚、子供あり[5][6]
  • エリザベス・テリーザ(1781年 – 1806年[5]

注釈

  1. ^ 姓はノウラー(Knowler)とも[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Drummond, Mary M. (1964). "DIGBY, Henry (1731-93), of Minterne House, Cerne Abbas, Dorset". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 354–356.
  3. ^ Cannon, J. A. (1964). "Ludgershall". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  4. ^ Cannon, J. A. (1964). "Wells". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  5. ^ a b c d e Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 643.
  6. ^ Thorne, R. G. (1986). "WINGFIELD, William (?1773-1858), of Lincoln's Inn, Mdx.; Sherborne Castle, Dorset and Blythe Hall, Warws.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧

外部リンク

グレートブリテン議会英語版
先代
サー・ジョン・ブランド準男爵
トマス・ヘイワード
庶民院議員(ラガーショル選挙区英語版選出)
1755年 – 1761年
同職:トマス・ヘイワード
次代
トマス・ウェートリー英語版
ジョン・パターソン
先代
ロバート・ディグビー英語版
チャールズ・タッドウェイ
庶民院議員(ウェルズ選挙区英語版選出)
1761年 – 1765年
同職:クレメント・タッドウェイ英語版
次代
ピーター・テイラー英語版
クレメント・タッドウェイ英語版
名誉職
先代
シャフツベリ伯爵
ドーセット統監英語版
1771年 – 1793年
次代
リヴァーズ男爵英語版
グレートブリテンの爵位
爵位創設 ディグビー伯爵
1790年 – 1793年
次代
エドワード・ディグビー
ディグビー男爵
1765年 – 1793年
アイルランドの爵位
先代
エドワード・ディグビー
ディグビー男爵
1757年 – 1793年
次代
エドワード・ディグビー



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