プロクルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルスとは? わかりやすく解説

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プロクルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:32 UTC 版)

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プロクルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルス
Proculus Verginius Tricostus Rutilus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ウェルギニウス氏族
官職 執政官(紀元前486年)
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プロクルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルスラテン語: Proculus Verginius Tricostus Rutilus)は共和政ローマ初期の政治家・軍人。紀元前486年執政官(コンスル)を務めた。

出自

父は紀元前502年の執政官オピテル・ウェルギニウス・トリコストゥスと思われる。また紀元前479年の執政官ティトゥス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルス紀元前478年の補充執政官オピテル・ウェルギニウス・エスクィリヌス、紀元前476年の執政官アウルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルスは兄弟と思われる。

執政官

紀元前486年に執政官に就任。同僚執政官はスプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスで、彼にとって三度目の執政官であった[1][2]。ルティルスはアエクイ族との戦争を担当することとなり、アエクイ領に侵攻した。農村部のアエクイ人は貴重品と共に都市に避難しており、またアエクイ軍も出撃してこなかったため、農村部で容易に略奪が行えた[3]。ローマに戻ると、同僚のウェケッリヌスが提案した土地分配法に反対した[4][5]。ウェリケッリヌスは王位を狙っているとして非難され、執政官の任期が切れた翌紀元前485年に裁判にかけられ死刑となった[4]

脚注

  1. ^ Taylor, Brian (2008), p. 65
  2. ^ ディオドロス『歴史叢書:ペルシア戦争からアテナイの陥落まで』、books 11-14.34 (480-401 BCE)
  3. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』、VIII. 68
  4. ^ a b リウィウスローマ建国史』、II.41
  5. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』、VIII. 68IX.51.

参考資料

関連項目

公職
先代:
ティトゥス・シキニウス
ガイウス・アクィッリウス・トゥスクス
執政官
同僚:スプリウス・カッシウス・ウェケッリヌス
紀元前486年
次代:
セルウィウス・コルネリウス・マルギネンシス
クィントゥス・ファビウス・ウィブラヌス



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