ブルーノ・トッツィとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ブルーノ・トッツィの意味・解説 

ブルーノ・トッツィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 15:45 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ブルーノ・トッツィ

ブルーノ・トッツィ: Bruno Tozzi1656年11月27日 - 1743年1月29日)は、イタリア修道士植物学者、菌類学者である。

略歴

フィレンツェの貧しい家に生まれた。神学などを学び、1671年にヴァッロンブローザ修道院の修道士になった。植物学を研究し、センプリチ庭園の園長となるピエール・アントニオ・ミケーリに植物学を教え、ともに採集旅行をおこなった。水彩画が得意で多くの植物の水彩画を描き、イタリアの植物の水彩画をイギリスの植物学者ウィリアム・シェラード (William Sherard)に送り、シェラードから植物学の文献を入手した。オランダの植物学者、ヘルマン・ブールハーフェやイギリスの植物収集家、ジェイムズ・ペティヴァーハンス・スローンらとも交流した。

1716年に王立協会の会員に選ばれ、何度かロンドンに招かれるが、渡英することはなかった。1716年にミケーリらとフィレンツェ植物学会を設立し、ミケーリが会長となった。植物学会としては最も早い設立されたものである。

ミケーリによってハマウツボ科の属名、Tozzia献名された。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブルーノ・トッツィ」の関連用語

ブルーノ・トッツィのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブルーノ・トッツィのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブルーノ・トッツィ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS