フランシス・ダッシュウッド (初代準男爵)とは? わかりやすく解説

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フランシス・ダッシュウッド (初代準男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 08:18 UTC 版)

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初代準男爵サーフランシス・ダッシュウッド英語: Sir Francis Dashwood, 1st Baronet1658年頃 – 1724年11月4日)は、イギリスの商人、地主、政治家。ホイッグ党所属[1]

生涯

商人フランシス・ダッシュウッド(Francis Dashwood、1683年没)とアリス・スレイ(Alice Sleigh)の末男として、1658年頃に生まれた[2]。父はサマセット出身でトルコ貿易をしており、フランシスも商人の道を歩みシルク貿易に関わったほか、1680年にはワイン商名誉組合英語版に入った[1]。これにより財を成し、1690年3月に政府に1,000ポンドを貸与したほか、1698年には兄サミュエル英語版と15,000ポンドずつ投資してウェスト・ウィコンブ英語版の領地を購入した[1]

1702年10月にサミュエルがロンドン市長に就任すると[1]、フランシスも10月29日にアン女王により騎士爵に叙された[2]

政界では1705年イングランド総選挙での選挙活動より関わりをはじめ、1707年6月28日には政府への支持により準男爵に叙された[1][2]。また、サミュエルの死後の1706年にその息子ジョージに15,000ポンドを支払ってウェスト・ウィコンブの領地を確保した[1]。このようにして地盤を固めたフランシスは1708年イギリス総選挙ウィンチェルシー選挙区英語版から出馬し、無投票当選を果たした[1]

政治観ではトーリー党所属の兄サミュエルと違いホイッグ党に属し、1710年にヘンリー・サシェヴェレル英語版の弾劾に賛成票を投じたが、全体的には議会であまり活動的ではなかったという[1]1710年イギリス総選挙ではトーリー党に対立候補を立てられるものの無事再選し、対立候補による選挙申し立ても1712年2月に却下された[1]。その後、1713年イギリス総選挙で立候補せず、政界から引退した[1]

政界引退以降は領地管理に専念し、1720年頃にバッキンガムシャーハルトン英語版を購入した[1]。1724年11月4日にハノーヴァー・スクエア英語版の自宅で死去[1]ウェスト・ウィコンブ英語版で埋葬された[2]。息子フランシスが爵位を継承した[2]。死去時点の遺産は34,000ポンドに上り、また名望もあったため、息子フランシスは政界で出世し、ビュート伯爵内閣財務大臣を務めることとなった[1]

家族

1683年4月13日、メアリー・ジェニングス(Mary Jennyngs、1665年頃 – 1695年以前、ジョン・ジェニングスの娘)と結婚、1男2女をもうけた[1][2]

  • メアリー(1738年没) - 1703年8月18日、第2代準男爵サー・フルウォー・スキップウィス英語版と結婚[3]
  • スザンナ(Susannah、1747年没) - 1702年4月15日、第2代準男爵サー・オーランド・ブリッジマン英語版と結婚、子供あり[4]

1705年5月30日、メアリー・フェイン(Mary Fane、1675年頃 – 1710年8月19日、第4代ウェストモーランド伯爵ヴィアー・フェイン英語版の娘)と再婚[2]、1男1女をもうけた[1]

  • レイチェル - 1738年11月4日、第4代準男爵サー・ロバート・オーステン英語版と結婚、子供なし[5]
  • フランシス(1708年 – 1781年) - 第2代準男爵、第11代ル・ディスペンサー男爵

1712年6月17日、メアリー・キング(Mary King、1719年没、おそらくチャールズ・キングの娘)と再婚、2男2女をもうけた[1][2]

  • ヘンリエッタ - 生涯未婚
  • メアリー - 1732年、ジョン・ウォルコット(John Walcott)と結婚
  • ジョン英語版(1716年 – 1793年) - 第3代準男爵
  • チャールズ(1717年11月4日 – ?) - 生涯未婚

1720年7月21日、エリザベス・ウィンザー(Elizabeth Windsor、1736年10月16日没、初代プリマス伯爵トマス・ヒックマン=ウィンザー英語版の娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Gauci, Perry (2002). "DASHWOOD, Sir Francis, 1st Bt. (c.1658-1724), of St. Botolph without Bishopsgate, London, and West Wycombe, Bucks.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年1月18日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward, ed. (1906). The Complete Baronetage. 5. Exeter: William Pollard & Co. pp. 2–3.
  3. ^ Hayton, D. W. (2002). "SKIPWITH, Sir Fulwar, 2nd Bt. (1676-1728), of Newbold Revel, Stretton-under-Foss, Warws.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年1月18日閲覧
  4. ^ Hayton, D. W. (2002). "BRIDGEMAN, Sir Orlando, 2nd Bt. (1678-1746), of Bloomsbury Square, Mdx.; Coventry, Warws. and Bowood, nr. Calne, Wilts.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年1月18日閲覧
  5. ^ Newman, A. N. (1970). "AUSTEN, Sir Robert, 4th Bt. (1697-1743), of Hall Place, Bexley, Kent.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年1月18日閲覧

関連図書

グレートブリテン議会英語版
先代:
ジョージ・ドディントン英語版
ジェームズ・ヘイズ英語版
庶民院議員(ウィンチェルシー選挙区英語版選出)
1708年 – 1713年
同職:ジョージ・ドディントン英語版 1708年
ロバート・ブリストー英語版 1708年 – 1713年
次代:
ロバート・ブリストー英語版
ジョージ・ドディントン英語版
グレートブリテンの準男爵
爵位創設 (ウェスト・ウィコンブの)準男爵
1707年 – 1724年
次代:
フランシス・ダッシュウッド



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