フランシス・ケリー (アメリカ海軍)とは? わかりやすく解説

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フランシス・ケリー (アメリカ海軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/15 15:14 UTC 版)

フランシス・ケリー
機関師フランシス・ケリー
生誕 (1860-07-05) 1860年7月5日
アメリカ合衆国
マサチューセッツ州ボストン
死没 (1938-05-19) 1938年5月19日(77歳没)
スコットランド グラスゴー
埋葬地 グラスゴー、Sandymount Cemetery
所属組織 アメリカ合衆国
部門 アメリカ海軍
最終階級 機関師(下士官最上級の機関員
部隊 USS Merrimac
戦闘 米西戦争
受賞 名誉勲章

フランシス・ケリー(Francis Kelly、1860年7月5日 - 1938年5月19日)は、米西戦争における行動に対してアメリカ合衆国における最高の軍事勲章とされる名誉勲章を授与された、アメリカ海軍の水兵。

経歴

フランシス・ケリーは、出身地であるマサチューセッツ州から徴兵されてアメリカ海軍の一員となり、米西戦争中には、石炭船メリマック英語版の機関師 (watertender) として従軍した。海軍少将ウィリアム・T・サンプソン英語版キューバサンティアーゴ・デ・クーバの港の入口を封鎖すべく、メリマックを湊口に沈めるよう命じた際、志願してメリマックに乗り組んだ8人の乗員の一人がケリーであった。1898年6月2日の夜から3日にかけて、この任務を遂行しようと試みた際、メリマックは敵の砲火にさらされ操舵が効かなくな理、航海を妨害できないまま沈んでしまった。乗員たちはスペイン側によって救助され、捕虜となった。ひと月後にサンチャゴ・デ・キューバ海戦でスペイン艦隊が壊滅した後、ケリーは同僚たちとともに解放された。この作戦における働きに対して、ケリーは名誉勲章を授与された。

フランシス・ケリーは、米西戦争後も海軍に留まり、最終的には下士官最上級の機関員となった。ケリーは、スコットランドグラスゴーにあるサンディマウント墓地 (Sandymount Cemetery) に葬られた。

名誉勲章の公報

ケリーへの名誉勲章授与の公報には、以下のように記されていた。

1898年6月2日サンティアーゴ・デ・クーバの港口にメリマックを沈めるという作戦に参加。スペイン側の砲台からの厳しい砲撃にもかかわらず、ケリーは作戦中ずっと類い稀な英雄的行動をとり続けた。

脚注

参考文献

関連項目




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