フョードル・ロマノヴィチ (リャザン公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/11 07:41 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動フョードル・ロマノヴィチ(ロシア語: Фёдор Романович、? - 1294年[1])はリャザン大公ロマン(ru)の子である。リャザン大公:1270年 - 1294年[1]。
1270年の父の死後、リャザン大公位を受け継いだ。フョードル治世期の1278年、1288年に、リャザン公国領はジョチ・ウルスからの襲撃を受けている[2]。
フョードルの妻子に関しては不明である[2]。
出典
- ^ a b Войтович Л. 3.6. СВЯТОСЛАВИЧІ. ЧЕРНІГІВСЬКІ, МУРОМСЬКІ І РЯЗАНСЬКІ КНЯЗІ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
- ^ a b Фёдор Романович, князь Рязанский // Все монархии мира
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