フェリー1世_(ロレーヌ公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フェリー1世_(ロレーヌ公)の意味・解説 

フェリー1世 (ロレーヌ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 10:51 UTC 版)

フェリー1世
Ferry Ier
ロレーヌ公
在位 1205年 - 1206年

出生 1143年ごろ
死去 1206年4月7日
配偶者 ヴィエシュホスワヴァ・ルドミワ・ミェシュコヴナ
子女 本文参照
家名 シャトノワ家
父親 ロレーヌ公マチュー1世
母親 ベルタ・フォン・ホーエンシュタウフェン
テンプレートを表示
フェリー1世のシール

フェリー1世フランス語:Ferry Ier, 1143年ごろ - 1206年4月7日)は、ロレーヌ公(在位:1205年 - 1206年)。

生涯

フェリー1世はロレーヌ公マチュー1世シュヴァーベン公フリードリヒ2世の娘ベルタ(ユーディトとも呼ばれる)の次男である[1]。兄シモン2世の跡を継いでロレーヌ公となった。シモン2世はすでに1176年にビッチュ伯位を与えられており、1179年のリブモン条約によりロレーヌ北部のドイツ語圏の部分の領有を認められていた。もともと母ベルタはフェリー1世が父マチュー1世の遺領すべてを継承することを望んでいた。しかし、3年間の内戦の後、フェリー1世はビッチュとロレーヌの半分しか確保できなかった。

兄シモン2世は1205年に修道院に引退し、フェリー1世の息子フェリー2世を後継者とした。それにもかかわらずフェリー1世は全領を相続したが、1年後に亡くなり、ポーランド大公ミェシュコ3世の娘ヴィエシュホスワヴァ・ルドミワ(1150年 - 1223年)との間に生まれたフェリー2世がロレーヌ公位を継承した[2]

子女

ヴィエシュホスワヴァ・ルドミワ・ミェシュコヴナとの間に以下の子女が生まれた。

  • フェリー2世(1165年頃 - 1213年) - ロレーヌ公
  • ティエリー(悪魔卿) - オティニー領主。マチュー2世・ド・モンモランシーの娘ジェルトリュードと結婚。
  • アンリ - バイヨンヌ城を建造
  • フィリップ(1243年没) - ジェルベヴィエ領主
  • マチュー(1170年 - 1217年) - トゥール司教
  • アガット(1242年没) - ルミルモン女子修道院長
  • ジュディット - ザルム伯ハインリヒ2世と結婚
  • エドヴィジュ(1228年没) - ツヴァイブリュッケン伯ハインリヒ1世と結婚
  • キュネゴンド(1214年没) - リンブルフ公ヴァルラム3世と結婚

脚注

  1. ^ Parisse 1982, p. 436.
  2. ^ Parisse 1982, p. 400.

参考文献

  • Parisse, Michel (1982) (フランス語). Noblesse et chevalerie en Lorraine médiévale: les familles nobles du XIe au XIIIe siècle. Publications de l'Université de Nancy II 
先代
シモン2世
ロレーヌ公
1205年 - 1206年
次代
フェリー2世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  フェリー1世_(ロレーヌ公)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フェリー1世_(ロレーヌ公)」の関連用語

フェリー1世_(ロレーヌ公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フェリー1世_(ロレーヌ公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフェリー1世 (ロレーヌ公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS