マチュー2世・ド・モンモランシーとは? わかりやすく解説

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マチュー2世・ド・モンモランシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/02 15:40 UTC 版)

マチュー2世・ド・モンモランシー
Mathieu II de Montmorency
モンモランシー領主
後世に描かれたマチュー2世・ド・モンモランシーの肖像画(1788年)
在位 1189年 - 1230年

出生 1168年ごろ
死去 1230年11月24日
配偶者 ジェルトリュード・ド・ソワソン
  エマ・ド・ラヴァル
子女 本文参照
家名 モンモランシー家
父親 ブシャール5世・ド・モンモランシー
母親 ローレット・ド・エノー
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1214年以前のマチュー2世の紋章
1214年以降のマチュー2世の紋章

マチュー2世・ド・モンモランシー(Mathieu II de Montmorency, 1168年ごろ - 1230年11月24日)は、モンモランシー領主(在位:1189年 - 1230年)。

生涯

マチュー2世はブシャール5世・ド・モンモランシーとエノー伯ボードゥアン4世の娘ローレット・ド・エノーの息子である[1]。父方の祖父母はフランス軍総司令官英語版マチュー1世・ド・モンモランシーイングランド王ヘンリー1世の庶子アリス・フィッツロイであった。父ブシャール5世は1189年か1190年にアッコ包囲戦で戦死した[2]

マチュー2世は第3回十字軍のアッコ包囲戦で戦死したアルベリク・クレマンに代わってフランス元帥となった[3]聖地から無事帰還した後、フランス王フィリップ2世のノルマンディー征服に参加し、1204年のガイヤール城包囲戦で名を挙げた[4]。また、1214年のブーヴィーヌの戦いで重要な役割を果たし[4]、敵の旗を12本捕獲した(この偉業を記念して、モンモランシーの盾にはさらに12羽の鷲、つまり以前は4羽だった鷲が合計16羽描かれることとなった[5])。

1215年、マチュー2世はフランス軍総司令官としてアルビジョア十字軍に参加した[4]。フランス王ルイ8世に仕え、1224年にラ・ロシェルなどの都市をイングランドから奪った[6]。ルイ8世が1226年に亡くなると、マチュー2世は幼い王子と王太后で摂政のブランシュ・ド・カスティーユに仕えた。

マチュー2世は1230年、アンジュー遠征から帰還の途中に死去した。

結婚と子女

1193年にソワソン伯ラウル1世の娘ジェルトリュードと結婚した。2人の間には以下の子女が生まれた。

  • ジェルトリュード(1256年没) - シモン3世・ド・パロワと結婚、ロレーヌ公フェリー1世の息子ティエリー・ル・ディアブルと結婚
  • ブシャール6世(1243年没) - モンモランシー領主
  • マチュー(1250年2月8日没) - アティシー領主。ポンチュー女伯マリーと結婚。マンスーラの戦いで戦死。

ジェルトリュードとの結婚解消後、ギー5世・ド・ラヴァルの娘で女子相続人のエマ・ド・ラヴァル(1200年 - 1264年)と結婚した[7]。2人の間には以下の子女が生まれた。

  • ギー7世・ド・ラヴァル(1219年 - 1265年) - 母方のラヴァル領を継ぐ[8]
  • アヴォワーズ - ジャック・ド・シャトー=ゴンティエと結婚
  • ジャンヌ
  • アリックス? - ロゾワ領主ロジェと結婚。マンスーラの戦いで戦死。

脚注

  1. ^ Gilbert of Mons 2005, p. 42.
  2. ^ Molinier 1902, p. 630.
  3. ^ Bennett 2021, p. 257.
  4. ^ a b c Baldwin 2019, p. 37.
  5. ^ Eysenbach 1848, p. 321.
  6. ^ Barthélemy 1984, p. 425.
  7. ^ Gousset & Chollet 2006, p. 203.
  8. ^ Walsby 2007, p. 13.

参考文献

  • Baldwin, John W. (2019). Knights, Lords, and Ladies: In Search of Aristocrats in the Paris Region, 1180-1220. University of Pennsylvania Press 
  • Barthélemy, Dominique (1984) (French). Les deux âges de la seigneurie banale: Pouvoir et Societe dans la Terre des Sires de Coucy (milieu XI- milieu XIII Siecle). Publications de la Sorbonne 425
  • Bennett, Stephen (2021). Elite Participation in the Third Crusade. The Boydell Press 
  • Gilbert of Mons (2005). Chronicle of Hainaut. The Boydell Press 
  • Gousset, Jean-Michel; Chollet, Samuel (2006). “Mayenne. Laval, datation dendrochronologique des hourds du donjon” (French). Bulletin Monumental 164-2 (2): 202-203. doi:10.3406/bulmo.2006.1356. 
  • Walsby, Malcolm (2007). The Counts of Laval: Culture, Patronage and Religion in Fifteenth- and Sixteenth-Century France. Ashgate Publishing 
  • Molinier, A. (1902). Obituaires de la province de Sens. Vol. 1/1 
  • Eysenbach, Gabriel (1848) (フランス語). History of Heraldry and the Science of Coats-of-Arms. p. 321. https://books.google.co.jp/books?id=WPRUAwtJkEoC&pg=PA321&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 
先代
ブシャール5世
モンモランシー領主
1189年 - 1230年
次代
ブシャール6世



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