バガトル (アス)とは? わかりやすく解説

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バガトル (アス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/30 01:36 UTC 版)

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バガトル(抜都児、生年不詳 - 1297年)は、大元ウルス軍人アス族の出身。

経歴

アス族(アスト部)とはカフカース山脈北麓に居住するオセット人の内、モンケの征服によって東方に移住してきた集団の総称で、バガトルも兄とともにモンケに帰順したと伝えられている[1]

バガトルの一族は上都路宜興に居住した。兄たちは憲宗モンケに従って転戦し、陣没した。バガトルは李璮の乱の征討に従軍し、済南を包囲して、20数戦した。クビライの賞賛を受け、アス軍1000を率いるよう命じられ、側近として仕えるようになった。まもなく阿塔赤内のケシク百戸にあてられた。後に塔不台の南征に従い、金剛台で戦って戦功を上げた。凱旋すると、さらなる従軍を願い出たが、クビライはこれをとどめて側近に控えさせた。

至元23年(1286年)、広威将軍・後衛親軍副都指揮使に任じられた。至元24年(1287年)夏、ナヤンの乱(ナヤン・カダアンの乱)の征討に従軍し、僉家奴と塔不台を捕らえて凱旋し、定遠大将軍の位を加えられた。大徳元年(1297年)、死去した。

子の別吉連が後を嗣いだ。

脚注

  1. ^ 赤坂2010,156-157頁

参考文献

  • 赤坂恒明「モンゴル帝国期におけるアス人の移動について」『中国国境地域の移動と交流』有志舎、2010年
  • 元史』巻132 列伝第19



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