ハインリヒ3世_(メクレンブルク公)とは? わかりやすく解説

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ハインリヒ3世 (メクレンブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 00:23 UTC 版)

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ハインリヒ3世
Heinrich III.
メクレンブルク公
在位 1379年 - 1383年

出生 1337年ごろ
死去 1383年4月24日
神聖ローマ帝国
メクレンブルク公領、シュヴェリーン
埋葬 神聖ローマ帝国
メクレンブルク公領、ドベラーン修道院
配偶者 インゲボー・ア・ダンマーク
  メヒティルト・フォン・ヴェルレ=ヴァーレン
子女 エウフェミア
アルブレヒト4世
マリア
インゲボルク
家名 メクレンブルク家
父親 メクレンブルク公アルブレヒト2世
母親 エウフェミア・アヴ・スヴェーリエ
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ハインリヒ3世(Heinrich III. der Hänger, 1337年ごろ - 1383年4月24日)は、メクレンブルク公(在位:1379年 - 1383年)[1]

生涯

ハインリヒ3世は、メクレンブルク公アルブレヒト2世とエウフェミア・アヴ・スヴェーリエ(セーデルマンランド公エリク・マグヌソンの娘)の間に生まれた[2]スウェーデン王アルブレクト(在位:1364年 - 1389年)の兄。

1361年デンマーク王ヴァルデマー4世の娘インゲボーと結婚し、以下の子女をもうけた[3]

  • エウフェミア - 1377年にヨハン5世・フォン・ヴェルレ=ギュストローと結婚
  • アルブレヒト4世(1388年没) - メクレンブルク公(1383年 - 1388年)
  • マリア(1363年 - 1402年) - 1380年にポメラニア公ヴァルティスラフ7世と結婚、エーリク7世の母[4]
  • インゲボルク - リーブニッツのクララ会修道院長

1377年にベルンハルト2世・フォン・ヴェルレの娘メヒティルト・フォン・ヴェルレ=ヴァーレンと結婚した。

脚注

  1. ^ 下津、p. 360
  2. ^ Louda & Maclagan, p. 64
  3. ^ Genealogical table of the House of Mecklenburg, p. 168
  4. ^ Louda & Maclagan, p. 46

参考文献

  • 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
  • Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.



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