ニュー・イングリッシュ・アート・クラブとは? わかりやすく解説

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ニュー・イングリッシュ・アート・クラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 00:34 UTC 版)

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NEACに参加した美術家の似顔絵
(画)ウィリアム・オーペン
H.H.ラ・タングの"In The Dauphiné"

ニュー・イングリッシュ・アート・クラブ(New English Art Club:略称 NEAC)はイギリスの職業画家の協会で、イギリス芸術家連盟(Federation of British Artists:略称 FBA)に所属している。1885年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立美術院:略称 RA)の保守的な運営に反対する美術家たちによって創設された。現在はロンドンのモール・ギャラリーズに他の9つのFBAに属する組織と入居している。毎年定例の展覧会を開いている。

歴史

1885年に創立された。創立メンバーは国外で美術を学んだ若い芸術家たちであった。主なメンバーはジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)、スタンホープ・フォーブス(1857–1947)、トーマス・クーパー・ゴッチ(1854-1931)らで、彼らはパリで修行し、当時レイトン男爵フレデリック・レイトン(1830-1896)らによって運営されていたロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに不満を持っていた。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの定例展覧会に対抗する展覧会を1886年4月に Egyptian Hallで開き、約50人の美術家が参加した。

最初の展覧会で、大きな話題と議論を呼んだのはヘンリー・ハーバート・ラ・タング(Henry Herbert La Thangue:1859-1929)の農民夫妻を描いた"In The Dauphiné"であった。H.H.ラ・タングは会を、より拡大する野心を持ち、小規模な会員で運営することを望む、会の指導的立場のレイドリー(William James Laidlay:1846-1912)と論争を起こした。H.H.ラ・タングの計画は資金不足で実現しなかった。

主に印象派の画家たちはNEACの展覧会に出展することになり、ロイヤル・アカデミーにはアカデミック絵画の画家たちが出展することになった。そのため初期には、スタンホープ・フォーブスはロイヤル・アカデミーの会員に選ばれたが、トーマス・クーパー・ゴッチはRAの会員となることはできなかったという時代があったが、その後それぞれの展覧会に出展される作品の傾向が変化し、両方の展覧会に参加するのは普通となった。

19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて、ウォルター・シッカートオーガスタス・ジョンヘンリー・トンクスといった有名な画家が会員となった。1920年代にはスタンレー・スペンサーらが会員となり、ウィリアム・ローゼンステインらのポスト印象派の画家も会員となった。

主な会員

ギャラリー

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