ニコラウス・クニュプファーとは? わかりやすく解説

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ニコラウス・クニュプファー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 00:01 UTC 版)

ニコラウス・クニュプファー
Nicolaus Knüpfer
Pieter de Jode IIによる肖像画
誕生日 1609年頃
出生地 ライプツィヒ
死没年 1655年10月15日
死没地 ユトレヒト
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ニコラウス・クニュプファー(Nicolaus Knüpfer、1609年頃 -1655年10月15日[1])はドイツ生まれで、主にオランダのユトレヒトで活動した画家である。歴史画や風俗画を描いた。

略歴

ライプツィヒで生まれた。17世紀末に画家たちの伝記を残したアルノルト・ホウブラーケンによればエマニュエル・ナイセン(Emanuel Nysen)という画家の弟子であったとされる[2]マクデブルクに移り、1630年まで画家の助手をした後、ユトレヒトに移り、アブラハム・ブルーマールトの工房に入り、2年間働いた。

自らの工房を開き、1637年にユトレヒトの聖ルカ組合に入会した。デンマークのクロンボー城の装飾画を描くメンバーにも加わり、ヤン・ボトヤン・バプティスト・ウェーニクス(1621-1659)といった風景画家の作品に人物を描いた。

多くの弟子を教え、その中にはヤン・ステーンハブリエル・メツーアリ・デ・フォイスや、ピーテル・クラインス・フォルマライン(Pieter Crijnse Volmarijn)といった画家がいる[3]

聖書や、文学、神話を題材にした作品や、当時オランダで人気のあった風俗画を描いた。

作品

脚注

  1. ^ Otto Benesch (1979). From an Art Historian's Workshop. Gilhofer & Ranschburg. p. 3. https://books.google.com/books?id=fQjqAAAAMAAJ 
  2. ^ Nicolaes Knufter biography in De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen (1718) by Arnold Houbraken, courtesy of the Digital library for Dutch literature
  3. ^ Nicolaes Knüpfer in the RKD

参考文献

  • Cornelis De Bie, Het gulden cabinet van de edel vry schilderconst, Antwerpen 1662, pp. 115–116 (engraved portrait p. 115, Knupfer pinx., Pieter de Jode II sculpt.)
  • Filippo Baldinucci's Artists in biographies by Filippo Baldinucci, 1610–1670, p. 197



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