ニコライ・ドゥボフスコイとは? わかりやすく解説

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ニコライ・ドゥボフスコイ

(ニコライ・ドゥボフスキイ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/15 00:12 UTC 版)

ニコライ・ドゥボフスコイ
Николай Дубовской
1890年代後半のドゥボフスコイ
生誕 (1859-12-17) 1859年12月17日
ロシア、ノヴォチェルカッスク
死没 1918年2月28日(1918-02-28)(58歳没)
ロシア、サンクトペテルブルク
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ニコライ・ニカノロヴィチ・ドゥボフスコイロシア語: Николай Никанорович Дубовской, Nikolay Nikanorovich Dubovskoy、1859年12月17日 - 1918年2月28日)は、ロシア風景画家

略歴

ノヴォチェルカッスクドン・コサック軍の軍医の息子に生まれた。1877年から1881年までロシア帝国美術アカデミー(現サンクトペテルブルク美術大学)に学び、ミハイル・コンスタンティノヴィチ・クロト英語版に師事。

1887年に移動派で指導的な立場にあった画家、イリヤ・レーピン(1844-1930)の邸に招かれレーピンの影響を受けるようになった。もう一人の移動派のメンバー、ニコライ・ヤロシェンコ(1846-1898)と1888年に黒海沿岸を旅して作品を描いた。1890年から1900年にかけてロシア各地や国外を旅した。1898年にヤロシェンコが亡くなった後は移動派の重要なメンバーとなり、グループ内の対立を調整した。1900年に帝国美術アカデミーの正会員に選ばれ、1908年からアカデミーで教え始め、1911年にアレクサンドル・キセリョフが亡くなった後、風景画教室の責任者になった。

1918年に、サンクトペテルブルクで心不全で亡くなった。

作品の多くが、トレチャコフ美術館ロシア美術館などに収蔵されている。

ギャラリー(作品)

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