ナハス・アングラとは? わかりやすく解説

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ナハス・アングラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 05:21 UTC 版)

ナハス・ジデオン・アングラ
第3代 ナミビア共和国首相
任期
2005年3月21日 – 2012年12月4日
大統領ヒフィケプニェ・ポハンバ
前任者テオ=ベン・グリラブ
後任者ハーゲ・ガインゴブ
個人情報
生誕 (1943-08-22) 1943年8月22日(80歳)
南西アフリカオシコト州オニャーニャ
政党南西アフリカ人民機構(SWAPO)
配偶者カトリーナ・タンゲニ・ナマリンガ
子供2人
宗教ルーテル教会

ナハス・ジデオン・アングラ1943年8月22日[1][2] - )は、ナミビアの政治家。2005年から2012年、ヒフィケプニェ・ポハンバ大統領のもとで首相を務めた[3]。現在は国防相。コロンビア大学から教育学の修士号を取得している[4]

オシコト州オニャーニャ生まれ。1965年から89年まで国外追放に遭い、73年から76年までザンビアのラジオ局に勤め、76年から80年まで国際連合で職員として勤めた。1980年に南西アフリカ人民機構(SWAPO)の発起人となった。SWAPOは89年に政党登録し[1]、アングラは独立直後の89年11月から90年3月まで設けられた憲法制定会議のSWAPO所属の議員を務めた[5]。90年から国会議員を務めており、90年から95年まで教育・スポーツ・文化相を、95年から2005年まで高等教育相をそれぞれ務めた[1][2]

2002年8月のSWAPO党大会で行われた中央委員選では、395票という最高得票で当選した(次点はジェリー・エカンジョであった)[6]。2004年5月の大統領予備選ではポハンバとヒディポ・ハムテニャと三つ巴になった[7]が、第一回投票でポハンバが213票、ハムテニャが166票、アングラが137票を獲得、得票数で最下位だったアングラは決選投票に進めなかった。決選投票でアングラ陣営はポハンバ支持に回り、それがポハンバ勝利に結びついた[8]。家はルーテル教会に属している[9]

2012年12月4日、ポハンバ大統領は2014年大統領選挙のSWAPO候補に指名されたハーゲ・ガインゴブ副大統領を首相に任命した。アングラには国防相があてがわれた。

脚注

公職
先代
テオ・ベン・グリラブ英語版
ナミビア共和国首相
第3代:2005 - 2012
次代
ハーゲ・ガインゴブ




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