ドイツ法律アカデミー
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ドイツ法律アカデミー(ドイツ語: Akademie für deutsches Recht)は、ナチスが主宰した法律研究機関。主に産業界からの寄付支援によって運営された。
概要
ナチ党の専属弁護士・党法務部長であり、国会議員・法律問題国家弁務官となったハンス・フランクが1933年に設立した。
アカデミーのそもそもの設立目的は、ヒトラーのナチスの法制に対して影響力を行使することであった。法務大臣フランツ・ギュルトナー、フランツ・シュレーゲルベルガーなど閣僚・官僚が特権的に組織した刑法委員会編纂の刑法典法案と、法案成立を争った[1]。
メンバーは著名な政治家、経営者、学者であった。ヘルマン・ゲーリング、ヨーゼフ・ゲッベルス、カール・ボッシュ、フリードリヒ・フリック、カール・シュミット、ハンス・カール・ニッパーダイ、エトムント・メツガー、ヨハネス・ナグラー、ローラント・フライスラーなどが含まれる[1]。
1934年7月11日にドイツの公益法人となり、1935年には反ユダヤ主義のニュルンベルク法が成立した。1936年には同法案作成に関与したヴィルヘルム・シュトゥッカートもメンバーとなった。
アカデミーは幅広く代議活動や出版活動を行い、また人目を引く国際会議を開催するなどして、ドイツ第三帝国の栄誉のひとつになった。委員会はナチスの新法「民族法」(断種法)施行のための根拠を構築しようと試みた。
総裁
- ハンス・フランク(1933年 - 1942年)
- オットー・ゲオルク・ティーラック(1942年 - 1945年)
出版物
- Jahrbuch der Akademie für deutsches Recht (Yearbook of the Academy for German Law)
- Zeitschrift der Akademie für deutsches Recht (Journal of the Academy for German Law) — monthly
- Schriftenreihe der Akademie für deutsches Recht (Publications of the Academy for German Law)
脚注
参考文献
- Christian Zentner, Friedemann Bedürftig (1991). The Encyclopedia of the Third Reich. Macmillan, New York. ISBN 0-02-897502-2
- 南利明「指導者-国家-憲法体制における立法(三)」『静岡大学法政研究』第8巻3-4、静岡大学人文学部、2003年、 197-244頁、 doi:10.14945/00003577、 NAID 110001022053。
- クラウス・ベストライン 著、本田稔 訳 『ニュルンベルク法律家裁判とドイツにおけるその継承』 329巻、立命館大学、2010年1月、350-386頁 。
関連項目
- ドイツ法律アカデミーのページへのリンク