デーロ、ロシーとは? わかりやすく解説

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デーロ、ロシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/09 16:27 UTC 版)

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デーロ、ロシー[1] (ロシア語: Дело России) は、ロシア内戦中、東京において発行されていた保守的[2]なロシア語新聞の一つである。ロシア白軍により買収され、白軍の宣伝機関となった[3]。当初は日露倶楽部内で発行されていたが、1930年9月、発行所を横浜市に移転した[3]

歴史

1920年3月、ユダヤ系ロシア人ジャーナリストのアナトリー・ヤコヴレヴィチ・グートマンは、東京において「デーロ、ロシー」を創刊した[4][5][3]

同年6月、ロシア陸軍中将ロマノフスキー・ゲオルギー・ドミトリエヴィチロシア語版は、グリゴリー・セミョーノフ軍の代表者スイロボヤルスキー・アレクサンダー・ウラジミロヴィチロシア語版少将と協議を行い、「デーロ、ロシー」を買収し、それを白軍の宣伝機関とした[3]。同年7月より、ロマノフスキーの主筆による号外として邦文翻訳号を発行し[3]、それを日本の官民の有力者に配布した[5]

在日本露西亜国民統一会

在日本露西亜国民統一会は、「デーロ、ロシー」新聞編集所で行われていた会合である[6]。設立時の主な参加者は以下の通り。

また、在日本露西亜国民統一会はハルビンに支部を持っており、ステパン・ウォストロチンロシア語版がハルビンの支部長となっていた[6]

統一会は不偏不党であり[6]、派閥にはゴンダッチロシア語版派、ホルワットロシア語版派、セミョーノフ派、ロマノフスキー派があった[6]

関連項目

出典

  1. ^ 通常、区切りに「、」を使うのは電報文体であるものの、「デーロ、ロシー」の翻訳版の名称では「、」区切りが使われていた。
  2. ^ 「The testimony of Kolchak and other Siberian materials」 P.439 Harold Henry Fisher, Anton Zakharovich Ovchinnikov 1935年
  3. ^ a b c d e 10.浦汐政府対日宣伝開始記事ノ件 自大正九年九月 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040651200、新聞雑誌出版物等取締関係雑件 第四巻(B-1-3-1-075)(外務省外交史料館)」
  4. ^ 「Cahiers du Monde russe, vol. 46 (3), juil.-sept. 2005」 (フランス語) フランス国立社会科学高等研究院 2006年 ISBN 978-2-7132-2056-2
  5. ^ a b 6.露字新聞「デーロ、ロシー」発刊/1 大正9年3月12日から大正9年9月6日 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040699800、新聞雑誌発刊計画雑件(B-1-3-1-117)(外務省外交史料館)」
  6. ^ a b c d 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03041012800、在内外協会関係雑件/在内ノ部 第二巻(1-3-3-1_2_002)(外務省外交史料館)」 6.在日本露西亜国民統一会 1920年


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