デイヴィッド・ウィームズ (第2代ウィームズ伯爵)とは? わかりやすく解説

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デイヴィッド・ウィームズ (第2代ウィームズ伯爵)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/13 15:43 UTC 版)

第2代ウィームズ伯爵デイヴィッド・ウィームズ英語: David Wemyss, 2nd Earl of Wemyss1610年9月6日1679年7月[1])は、スコットランド貴族。1633年から1649年までエルホー卿儀礼称号を使用した[2]

生涯

ジョン・ウィームズ(1633年に初代ウィームズ伯爵に叙爵)とジーン・グレイ(Jean Gray、1640年8月17日没、第6代グレイ卿パトリック・グレイ英語版の娘)の息子として[2]、1610年9月6日に生まれた[3][1]

スコットランド軍でファイフの歩兵連隊を指揮して、1640年8月にニューカッスル・アポン・タインまで進軍した[1]。1644年9月1日に兵士約6千人を率いてティッパーミュアの戦い英語版初代モントローズ侯爵ジェイムズ・グラハムと交戦したが敗走、1645年8月にはウィリアム・ベイリー英語版とともにキルシスの戦いで再びモントローズ侯爵と交戦したが再び敗北した[1]

1649年11月22日に父が死去すると、ウィームズ伯爵位を継承、1655年11月13日に男女両系の相続人(heirs general)に認定された[2]。1651年7月22日の特許状により、自身の爵位と財産の継承順位を自身の男系子孫(heirs male of his body)、自身が指名した人物、自身の男子相続人(heirs male whatever、すなわち非直系も含む)と定めた[2]。しかし、ウィームズ伯爵は3度結婚し、合計で10男6女をもうけたにもかかわらず、そのうちの10男4女に先立たれており、1672年には生存している男子がいないという情勢になった[3]。そのため、ウィームズ伯爵は1672年8月23日に一旦爵位を返上して再叙爵を受け(ノヴォダマス)、自身の死後に娘マーガレット、ついでその男系子孫が爵位を継承できるようにした[2]

1679年7月にウィームズ城英語版で死去[1]準男爵位は休止になり[3]、娘マーガレットが再叙爵の条件に基づきウィームズ伯爵位を継承した[2]

家族

1625年7月[1]、アンナ・バルフォア(Anna Balfour、1649年11月10日没、第2代バーリーのバルフォア卿ロバート・バルフォア英語版の娘)と結婚、6男5女をもうけた[3]

  • ジョン(1627年11月22日 – 1636年までに没)
  • ジーン(Jean、1629年6月19日 – 1715年1月5日) - 1649年4月26日、アンガス伯爵アーチボルド・ダグラス英語版(1609年ごろ – 1655年1月16日)と結婚、子供あり。1659年8月11日、第15代サザーランド伯爵ジョージ・ゴードンと再婚、子供あり
  • マーガレット(1630年9月24日 – 1648年5月17日と1649年11月10日の間に没)
  • デイヴィッド(1632年6月5日 – 1649年までに没)
  • ジョン(1636年12月10日 – 1646年までに没)
  • メアリー(1638年2月7日 – 1654年10月12日)
  • ロバート(1639年8月1日 – 1649年までに没)
  • イザベラ(1642年2月14日 – 1649年11月10日までに没)
  • アンナ(1643年9月20日 – 1649年11月10日までに没)
  • ジョン(1646年2月7日 – 1649年11月10日と1653年の間に没)
  • アレクサンダー(1647年10月20日 – 1649年11月10日と1653年の間に没)

1650年4月、ヘレナ・フレミング(Helenor Fleming、1652年4月20日没、第2代ウィグトン伯爵ジョン・フレミングの娘)と再婚した[3]

1653年1月13日、マーガレット・スコット(Margaret Scott、旧姓レスリー(Leslie)、1688年没、第6代ロシズ伯爵ジョン・レスリーの娘、第2代バクルー伯爵フランシス・スコットの未亡人)と再婚、4男1女をもうけた[3]

  • ジョン(1653年12月18日 – 1655年ごろ)
  • デイヴィッド(1655年3月13日 – 1671年9月28日)
  • ヒュー(Hew、1656年5月23日 – 1659年ごろ)
  • ジョン(1657年10月13日 – 1660年ごろ)
  • マーガレット(1659年1月1日 – 1705年3月11日) - 第3代ウィームズ女伯爵

出典

  1. ^ a b c d e f Sorensen, Janet (23 September 2004). "Wemyss, David, fourth earl of Wemyss [formerly Lord Elcho]". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/29035 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 85.
  3. ^ a b c d e f "Wemyss, Earl of (S, 1633)". Cracroft's Peerage (英語). 8 July 2019. 2020年12月7日閲覧
スコットランドの爵位
先代
ジョン・ウィームズ
ウィームズ伯爵
1649年 – 1679年
次代
マーガレット・ウィームズ
スコットランドの準男爵
先代
ジョン・ウィームズ
(ウィームズの)準男爵
1649年 – 1679年
休止



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